
私の誕生のころ
何を見つめているのだろう

お宮参りか、お祭りか
母親と一緒に
額に2点 稚児の眉を描いている
殿上眉(てんしょうまゆ)とか天竺眉(てんじくまゆ)と呼ばれているそうだ
いずれも神仏の行事に関係している
幼児の頃の風習だったようだ

船に乗っていた父親と一緒に
自宅に一時帰ってきたらしい
さて昨今、これまで駆け足で時の車に乗って齢を重ねてきたが、いつの間にかゴールもそう遠くないと感じる今日この頃です。古いアルバムを整理していると幼少のころの写真が出てきた。
私がこの世に生を受けたのは戦後のことです。終戦後、戦争帰りで生き残った兵隊の男と、内地で銃後を守っていた乙女とが、お見合いをして早々に所帯を持ち、子供が生まれた。いわゆる戦後のベビーブーマー世代だ。同世代の人々と同じように、これまでひしめき合って、何かに急かされるように生きてきた。

妹が生まれた
船長だった祖父と隣の家のおにいさんと私
生家は兵庫県津名郡富島町(現:兵庫県淡路市富島)

妹に続いて弟が生まれた

幼稚園の集合写真
同年代は人が多かった
幼稚園では昼寝の時間に
かけ布団をかぶって寝たふりをし
その中でゴソゴソ遊んでいたら
布団をはがされて
保母さんに「何やってんにゃ」と
叱られたことを今でも覚えている

父親ときょうだい
私が小学校3~4年のころかな
こんな写真も他人様にとっては誰も興味なく振り向かないと思うが、家族に取っては貴重な記録ですね。揺籃期を過ぎ、これから流転が始まります。