東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

カモシカスポーツ 高橋和之さん

2019-12-28 | 旅・趣味・自転車ほか



 カモシカスポーツはJR高田馬場駅前にある。
高橋和之さんの登山用品の店だ。

 高橋和之さんの奥さんは登山家の今井道子さん。何かの機会で、最近そういえば今井道子さんの名前を聞かないな、と思っていたら多分本業のお医者さんで忙しかったのでしょう。今井道子さんといえば、何十年か前のグランジョラス北壁の登攀で有名になった。ボクでも記憶しているのだからやはり有名人だ。

 高橋和之さんの経歴をみると、20代でグランジョラス北壁冬期登攀、その後はダウラギリⅣ峰などヒマラヤの山々、チョオユーからパラグライダー降下など輝かしい山歴があることを改めて知った。有名な登山家はほとんど若くして亡くなっている。生き続けているのが奇跡だ。

 ボクも若い頃は憧れがあり、趣味の山歩きだったが、単独の限界もあったので30代前半で足を洗い、犬の散歩程度の山歩きをすることと相成った。

 高橋和之さんはもう年輩になられたようですがお元気そうで何よりです。やはり登山では生き残るということは大変価値のあることだと改めて思った次第です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆沼の渡り鳥

2019-12-23 | Weblog
伊豆沼は渡り鳥が数多く飛来する。
ハクチョウが水に浮かんで昼寝している。
訓練のウォーキングで伊豆沼を一周した。約3時間 21,000歩。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泉ヶ岳とハクチョウ

2019-12-21 | Weblog
泉ヶ岳は標高1172m
仙台の市街地が見える。
山麓の田んぼにハクチョウが餌を探しに来ていた。
夜は沼や水辺に帰って寝るようだ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八甲田山雪中行軍遭難

2019-12-14 | 旅・趣味・自転車ほか





新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は1971年の作品で、この時期に「芙蓉の人」や「孤高の人」など、山岳小説を多数発表している。

先日、新青森駅から乗ったタクシーは女性運転手でかなり饒舌で、高倉健主演の「八甲田山」映画DVDを8回見たとか、映画と史実は随分違うとか微細に説明するので、八甲田山遭難の情報は否応なく頭にインプットされた。

八甲田山雪中行軍遭難資料館は幸畑墓苑の中にあり、日本陸軍第8師団青森の歩兵第五連隊の210名のうち199名が凍死他で亡くなった凄まじい山岳遭難だ。合掌。

この遭難は明治35年1902年1月下旬の大寒波があった時期で、日露戦争1904年の直前だ。ロシア軍が津軽海峡と陸奥湾を封鎖して八戸方面に上陸することを想定し、青森や弘前から援軍を送る作戦の一環で、八甲田山の山麓を迂回して八戸方面に行く訓練だった。南下を続けるロシア軍との戦闘はそれほど現実味があり、切羽詰まっていた。

現場は八甲田山の山頂ではなく少し下った高原であるが、当時の大寒波はマイナス20℃の猛吹雪が連続しており、遭難現場は2km程度の範囲で3夜の野営を強いられている。このホワイトアウトの中でリングワンデリング(環形彷徨)を繰り返している。吹雪の中のリングワンデリングは典型的な山岳遭難で、真っ直ぐ進んだつもりでも少しずつ曲がって行進し、何度も直進したつもりでもまた同じ場所に戻って来て、力尽き果て死に至る。

当時の兵士の耐寒装備は充分とは言えず、足にトウガラシをはさんで油紙を巻きワラ靴を履いたという。ほとんどの人は手足が凍傷になりゴム長靴の1人は凍傷を免れたという。当時では望むべくもないが現在ではゴアテックスやメリノウール、ダクロンなど耐寒や調湿機能が良くなり、化繊で氷雪が付着せず装備も軽量化している。ただしどんなに装備が充実しても吹雪と寒さは怖くて容赦なく命を奪う。

同時期に訓練で現地を通過した弘前の歩兵31連隊38名は1名の犠牲者もなく、八甲田東麓を通り青森に到着している。新田次郎の小説は2つの歩兵連隊の記述が史実と少し違うようで、資料館に新田次郎の名前は出てこない。

余談だが、新田次郎の「孤高の人」は神戸の三菱重工造船所技師の加藤文太郎をモデルにした小説で、ボクが若いころは彼の単独行にかなり影響を受けた。ちなみに数学者でエッセイスト、お茶の水女子大学の藤原正彦先生は新田次郎のご子息だという。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コルフ島のエリザベート

2019-12-06 | 旅・趣味・自転車ほか

今年6月にクルーズでギリシャのコルフ島にあるアヒリオン宮殿に行った。ここはエリザベート皇后が避暑に訪れていた。

彼女の時代は19世記半ばから後半にかけて1880年ころなので日本では明治時代。エリザベートはハプスブルク家の最後の王朝、オーストリアハンガリー帝国の皇后だった。1898年、日本では明治31年になるが、イタリアの無政府主義者のテロに遭いこの世を去った。このころ日露戦争は1904年、1914年は第一次世界大戦、バルカン激動の時代だ。

現在、ハプスブルク家の美術展が国立西洋美術館で開催されている。ここでエリザベート皇后の肖像画に思いがけず再会した。その美貌の全盛期にはウェストが50 cmとかのサイズで、体型を維持するためにダイエットやエクササイズに並々ならぬ努力をしたという逸話は有名らしい。

ウェストが50 センチとはボクの約半分だ。もちろんその気はないが、ボクがどんなに努力しても無理だ。





















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする