うだるような暑さに耐え難く、これは山にでも行くしかないと思った。
いつもの蔵王の標高は1800m、穂高の3000m級ならもっと涼しいだろうと思った。
思いつくのはいつもの穂高。
上高地から明神、徳沢園、横尾、本谷橋を経由して涸沢に入った。
後はザイテングラートを経由して穂高岳山荘に行く予定だった。
ところが山道も木陰があるものの日差しが強く、横尾からは登りの負荷が上がるにつれてじりじりと汗が噴出し、上高地から約6時間かけて涸沢ヒュッテに到着した。小屋のテラスでは登山者がちらほら生ビールを飲んでいる。この誘惑もあり宿泊を涸沢ヒュッテに変更し、ボクは生ビールを拝飲した。
翌朝はザイテングラート経由で奥穂高岳山頂に登った。頂上に着くと雲が湧き上がり、視界が無くなることも多く、非常に不安定だった。当初は奥穂からロバの耳を経由してジャンダルムまで往復する予定だった。ただし天気予報では午後から雷雲が発達し、落雷があるとの予報だった。奥穂からジャンダルム往復は3~4時間だが、午後から落雷の懸念が払拭できないため今回は断念することにした。
奥穂山頂ではかつてなくゆっくりと休憩した。この膨大な岩の重なりは何なのか。東西圧縮による造山運動と浸食風化がこの岩塊の重なりを作り上げたのか。数年前に再開した穂高巡礼で足腰は少しは強くなったが、シンデレラの靴のようなガラスの右足首の痛みは継続している。
これから年齢が増えても減ることはない。
そのせめぎ合いの中でどう折り合いをつけるか?
引き際があるか?
どこまで抵抗するか?
このまま二度と来れなくなるのか?
遊びは肩が凝らない命がけの魂の開放なのか?
奥穂山頂の吊り尾根側の平坦部には長野県山岳救助隊のメンバー2人が休憩していた。がっしりとした方々で50mほどの長尺ザイルの束をザックと蓋の間には挟んでいた。かなり大きなザックだ。
「事故でもあったのですか?」
「これから岳沢までパトロールに行くところです」
「これから岳沢までパトロールに行くところです」
「長野県警の方ですか?」
「委託されています」
ボクは未だ救助隊にお世話になった経験はないが、救助活動全般には敬意を抱いているので思わず
ボクは未だ救助隊にお世話になった経験はないが、救助活動全般には敬意を抱いているので思わず
「いつも有難うございます」
と御礼を申し上げた。
穂高岳山荘に戻りくつろいでいると程なく、ゴロゴロバッシーンと落雷があり大雨が降り出した。