東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

奥の細道 尿前の関

2016-04-30 | Weblog


「元禄の 芭蕉おきなも ここ越えて たびのおもひを とことはにせり」茂吉

鳴子から中山平に抜ける尿前の関は芭蕉の句
「蚤虱馬の尿する枕もと」
で知られている。
斎藤茂吉もこの地を訪れ、芭蕉が人生そのものが旅であるとして俳句を吟ずることで想いを表したが、芭蕉が一歩一歩自分の足で踏みしめた足跡を茂吉が偲びつつ、茂吉自身の万感の想いを歌ったのでしょう。

茂吉は山形県上山の出身で、この地を越えると山形県新庄に出る。
茂吉といえば北杜夫の父君で、大きな山のような存在だったと北氏の著書で述べていた記憶がある。


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佐和山城と石田三成

2016-04-22 | Weblog
今朝の散歩 佐和山城
「何もありませんよ」とのご忠告通りに草木に覆われていた。山だけが残り機能は全て近くの彦根城に移ってしまった。

佐和山城は京に通じる要衝にあり、歴史的にも幾多の争奪の変遷があった。石田三成が秀吉から19万4千石の佐和山の所領を得たのが1595年、関ヶ原で敗走し憤死したのが1600年、佐和山に係わったのはたった5年間だった。ただ三成といえば佐和山城と切り離せない。

今で言えば、三成は優秀な官僚か官房長官のイメージがあって、家康との葛藤はあるものの内閣を取り仕切り、政治にかかりきりで、領地の経営は組織や部下に任せていたのでしょう。

天守台に登ると近江盆地の南方が見渡せ、さすがに京への要だと納得しました。







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蔵王のルーツと吉野の桜

2016-04-19 | Weblog
蔵王山の蔵王の名前は以前から気になっていた。

昨年、たまたま日本橋の三井記念美術館で蔵王権現の展示会を見て納得した経緯がある。

吉野の金峰山寺では現在、蔵王権現の御開帳中だ。5月の上旬で終了する。仏教と日本古来の自然信仰が融和した山岳信仰の中心が吉野熊野にある。

いにしえより讃えられ、秀吉も愛でたという吉野の桜は、さすがに時期を逸していたが、遅れて咲く桜本坊の八重の桜は見事でした。

また、桜咲く季節に吉野を再訪したいと思います。




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