東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

渡り鳥の季節

2019-10-21 | Weblog


先週のことですが、青空高く鳥の群れが飛んでいました。かなり高空を群れ飛んでいます。最初はカラスの群れかと思いました。

よく見ると白いので鳩かとも思いましたが、クェークェーと聴き慣れた鳴き声がして、少し崩れていながら編隊を組んでいます。そうです、伊豆沼に来る白鳥と同じ鳴き声です。白鳥の鳴き声はおよそ白鳥の湖のイメージとは違いますが、慣れると親しみ深い声です。渡り鳥の季節になりました。

紺碧の空に白鳥鳴き来たり 歳々
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台風が通り過ぎて

2019-10-18 | Weblog
  

 今月12日土曜日の夜半に台風による大雨があったが、台風の通過後13日の日曜日の明け方には青空が見えた。当日の朝の時点では被害が大きくないだろうと感じたので、ロードバイクでサイクリングに出掛けた。

  近くの様子を見ると、確かに稲刈りの終わった後の田んぼは池のように冠水していたが、近隣の住宅地の被害は見られなかった。台風の通過後、時間が経過するにつれて全国で大雨による被害が明らかになった。水害が明確になるには時間遅れがある。 

 海岸に向かった。8年前の大津波のことを思い出した。この海岸付近には心理的に抵抗があったので、来られるようになったのは震災後の数年経過してからだ。 

 家内の叔母が亡くなった現地を通ったときには跡地に向かって祈った。当時は海岸から500m以上離れた高台に住んでおられた。平地から7〜8mの高低差がある高台だ。津波は3月11日。その後の携帯電話の音信不通は長く続いた。 

 震災後数日経ってから、鳴子温泉で女将をやっている義姉から、津波で大変だったでしょう、叔母さんにそろそろ温泉にでもと誘ってください、と言われたので海岸の現地へ行った。ところが現地の高台に行ったがあるべき場所に家がない。夏休みに海の家のようにお世話になった家がない。海水浴に行くと叔母さんに冷やしたスイカを御馳走になった家がなくなっていた。20〜30mほど後ろにある近くの方に伺ったところ、ああそのお宅は津波にさらわれましたね、と淡々と無表情に話された。念のため高台の下にある車庫に行き、津波を被った軽自動車の中を恐る恐る覗いてみた。もし居たらどうしょうと車内を覗いてみたが、軽自動車の中には人影はなかった。役場に行くと安否確認や張り紙と殺気立った人の喧騒で溢れていた。結局、遺体が発見されたと連絡があったのは3月の末だった。

  今回の台風で被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げお祈り致します。


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黒石寺から八幡平

2019-10-12 | Weblog
昨日は奥州市の名刹、黒石寺を参拝した。やっと念願が叶った。黒石寺は西暦729年行基が開いた東北地方最古の寺だ。奥州征伐で焼失したが807年坂上田村麻呂が再興したという。

昨日の朝、仙台は雨だったが黒石寺では曇り空。北の方には晴れ間もあるとの予報。思いきって八幡平に行った。頂上の八幡沼は美しく、紅葉は中腹まで降りてきていた。また、秀麗な岩手山が見事だった。台風が接近しているので急ぎ下山した。


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秋田駒ケ岳

2019-10-10 | Weblog
秋田駒へ紅葉狩り

頂上付近の外輪山鞍部は縮流効果で風速30m?
霧と雨、猛烈な風。体が吹き飛ばされて転倒。立っていられず匍匐前進。

当時は秋田市内でも風速30m/sを観測したそうだ。下界は穏やかでも山頂付近は視界ゼロ。急ぎ下山。夕方には落ち着いたようだ。あとは温泉、極楽、極楽!




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ジャンダルム 小さな勇気を

2019-09-25 | Weblog


ボクには宿題が残っていた。

ワールドカップラグビーをトヨタスタジアムで観戦した。後には好天が続きそうだった。名古屋から松本に向かい、いつもの穂高に行くことにした。

ジャンダルムはボクの宿題のひとつだった。体力が少し落ちてきているので最初は躊躇した。思い切って上高地岳沢から天狗のコルを通過してジャンダルムに登った。素晴らしい好天の一日でした。ジャンダルムの天使にやっと面会できました。

ロバの耳から馬ノ背を通り奥穂高岳に何とかたどり着いた。写真はジャンダルムの頂上で偶然出会った親切なクライマーカップルの女性が先行して、馬ノ背のナイフリッジを登り切ったボクを思いがけずも撮影して頂いていた。感謝感激です。

ジャンダルムには衛兵、前衛峰の意味がある。今回の山行で学んだことは、世の中であらゆることで前衛に立つためには、単なる山登りであっても、次のステップに進むための小さな勇気が必要だということです。


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トヨタスタジアム ワールドカップ

2019-09-24 | Weblog






ラグビーのワールドカップが日本で現在開催されている。チケットの入手は極めて困難だ。インターネットで奇跡的にウェールズとジョージア戦のチケットが手に入った。

LCCのエアアジアが仙台名古屋間に就航した。それにしてもトヨタスタジアムは規模も大きく立派なものだ。さすがトヨタの城下町だ。

試合前の両国の国歌演奏を聴くと胸にこみ上げるものがある。選手は国の地元ではみんなスターだ。国を代表する誇りがある。試合はウェールズの守備が力強くて素早くバックスの展開が圧倒したが、後半はジョージアもフォワードを中心に健闘した。観客はジョージアにも大きな声援を送った。試合が終わればノーサイドだ。

横浜に住んでいたころは中学生だった愚息を連れ、家族一同で大阪の花園ラグビー場へ桐蔭学園の応援に行った。ラグビー部出身者で東大に進学した学生もいる。あのナンバー8はいつ受験勉強をしているのだろうと観客が話していたを覚えている。

時を経て桐蔭学園出身の松島幸太郎さんは日本代表になった。頑張れ桐蔭!頑張れ日本代表!



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タヌキ岩 モルゲンロート

2019-09-06 | Weblog
足腰の点検第2段

穂高の涸沢まで行った。ボクの足腰は上高地から片道6時間には何とか使用に耐えることが判明した。

知る人ぞ知るタヌキ岩(狸岩)は前穂高岳北尾根の六峰にある。若いころに横尾のテントから涸沢経由で五峰と六峰の間、五六のコルのガレ場を詰めて前穂高北尾根を頂上まで行き、奥穂高岳から涸沢を回って横尾まで戻ったことを思い出した。

白状すると、さすがに今はもうそのころの体力はない。登りはまずまずたが、下りがダメだ。若い頃のように飛ぶように下れない(→弱音を吐くな)。仕方がないのでここは慎重に下るしかない。
 
話は飛躍するが、その筋では著名な西丸震哉さんは農林水産省食品研究所の研究室長だったそうだ。木崎湖の近くに記念館があるようだ。上司だった元学部長に伺えば面白い話が次々と出てきそうだが・・・






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足腰の点検、泉が岳に登る

2019-08-27 | Weblog
ロードバイクで転倒し、ヒザとヒジ、肩などを痛打して再起が危ぶまれた。救急病院では膝の剥離骨折の疑いがあるとの診断だった。

MRI精密検査の結果はシロ、剥離骨折ではないとのことだった。

おお、これは神仏の御加護ではないか、全国の神社仏閣を巡り歩いたご褒美ではないか、あるいは今年は恒例の松島の送り盆で灯籠流しをしなかったので、家に残っていたご先祖様に護って頂いたのではないか、などと考え仏壇に手を合わせ、ゆっくりとあの世にお戻りくださいと申し上げ、またよろずの神神に感謝した。

骨折ではないと判ると、どうも体がムズムズとしてきた。という訳で、昨日はカラダの試運転。泉が岳に行った。往復で約4時間。親からもらったこのカラダ、何とか動作することが判明した。感謝!





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甲子園残念の記

2019-08-23 | Weblog


最近は機会があれば夏の甲子園に行くようになった。今春はセンバツの決勝戦にも行った。
 
仙台から関空と神戸までLCC格安航空機が飛んでいる。これはヒミツだが(ヒミツでも何でも無い)、実は仙台から新幹線で東京へ行く料金よりも、関西にヒコーキで行く方が格段に安いのだ。LCCの予約は早ければ早いほど安いのだ。今夏も甲子園に行くため4月早々から神戸行きのLCCを予約した。
 
ところが先週末、いつものトレーニングで松島から塩釜に向かう途中のこと、ロードバイクででスイスイと心地よく風を切っていたが、車道から歩道に車線変更したとたんに縁石に乗り上げ、そのはずみで全身体が前方に吹っ飛び、ひざ、肩、ひじ、胸などをしこたま打撲し、出血した。ヘルメットはいつも被っていて、幸い頭部の打撲がなかったので、その後は冷静に対応できた。自宅に迎えを頼むかタクシーを呼ぶか考えたが、まずパンクの修理を涼しい場所で始めた。ところが前輪ホイールが変形し内側にバリができたのか入替えたチューブがまたもや破裂した。そこであきらめて近くのスーパーで消毒液マキロンと大型サビオを購入し、自分で出血と打撲部の応急手当をし、バンクしたロードバイクを手押しで仙石線の東塩釜駅まで持ち込み、分解して輪行バックに収納し帰宅した。

 
その後は週末なので救急病院へ行き、即座に甲子園行のヒコーキ便はすべてキャンセルした。というわけで甲子園へ行って明石商業の試合も、星稜の奥川君のピッチングも見ることがができず、テレビ観戦となった。
 
今回の顛末で認識したことを以下に羅列する。
・救急車を呼ぶのも一般的らしいが如何にも気が引けた。
・仙台の休日の救急病院は充実していてサービスも良い。
・仙台の救急病院、市中の整形外科、MRI検診機関のネットワークがすこぶる良い。東北大系列かも知れぬがこちらはいいサービスが有難い。
・MRI検診は耳栓をしてもガンガン音が響くが、20~30分目を閉じて眠るとちょうど良い。
・テレビ中継は整形外科で見た。星稜の奥川君は履正社のバッターに打ち込まれた。これは個人的な感想だが、奥川君のスライダーと直球の直前の癖を、履正社のベンチに読まれて見抜かれていたような気がする。それと外角一辺倒の配球が多く、もう少し散らした方がいいと思った。
・いずれにしても履正社の栄冠を祝す。

 

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ドブロブニクへの砲撃

2019-08-05 | Weblog
ドブロブニクはクロアチアの至宝、ローマ時代の城壁の街、世界遺産だ。先日に訪れたとき強烈な印象が残ったのは、ユーゴ内線のうちクロアチアとセルビアの戦争で、1991 年のユーゴ軍(この時点でセルビア軍とモンテネグロ軍)からの砲撃の痕跡だった。
 
ユーゴスラビア連邦は第2次世界大戦のあと、バルカンの火薬庫といわれた地域で、多民族国家として独立した国だった。ユーゴはチトー大統領が在命の時代は彼のカリスマ性で、連邦国家は維持されたと言っても過言ではない。しかしチトー大統領が1980年に死去した後は、ユーゴ連邦は求心力を失い、元々は民族と宗派が違い分裂主義により1991年のスロベニア独立に始まる?抗争と内戦を繰り返し、NATO軍と国連軍により2001年に終結したといわれるが、セルビアはコソボの独立を認めていない。
 
クロアチアがユーゴからの独立宣言は1991年6月25日、ユーゴのクロアチア、ザグレブ襲撃は1991 年9月から始まった。ユーゴ軍のドブロブニク砲撃は同10月から7か月間続いた。ドブロブニクの人々は何千発の砲撃を受けた記録を生々しく残している。
ユーゴはセルビア人、スロバニア人、クロアチア人、マケドニア人、イスラム人の5人種から構成されていた。ユーゴの内戦と独立戦争には人種と宗教が各地域で入り混じっていたことから、内戦による殺人のほか筆舌に尽くし難いほどの凄まじい弾圧と暴行や掠奪が行わた。
 
もともと混じり合わない人種が混在すると排他的になり、憎しみが爆発し想像できないほどの行為に及び、民族の救済を名目に攻撃が行われれ、また軍事的に弱くなると簡単に征服され、屈辱的な敗北となり、人間の尊厳を奪われ民族の消滅さえも有り得る。我々も中国や韓国の人々の過剰な受け入れを防ぎ、必要な武力を維持し集団的自衛力を持たないと取り返しがつかなくなることを肝に命じるべきである。
 
 
 
 
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