東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

レブンウスユキソウ

2024-07-19 | バイク・山歩き

レブンウスユキソウ
礼文薄雪草







礼文島
レブンウスユキソウの群生地



礼文島の山間部


副題
「レブンウスユキソウからSupercalifragilisticexpialidocious (スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス)までの思い出」


礼文島固有種のレブンウスユキソウを一度は見たいと思っていた
以前に礼文島に行った時は見る機会がなかった

ヨーロッパのエーデルワイスは日本のウスユキソウ(薄雪草)と同じ仲間だ

エーデルワイスと言えば映画「サウンドオブミュージック」1965年 で一躍有名になった。ジュリーアンドリュースの主演で良質のミュージカル映画があった。「ドレミの歌」や「すべての山にのぼれ」などもよく知られている。


映画の中でトラップ大佐(トランプ元大統領ではない。名前からすると同じドイツオーストリア系だと思う)が「エーデルワイス」を歌い、最後のクライマックスでは家族一緒で聴衆と一緒になって歌うシーンを思い出した。


【英語】ドレミの歌 (Do-Re-Mi) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕)


トラップ大佐のエーデルワイス (Edelweiss) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕)


Edelweiss (Reprise) / The Sound of Music (Movie Clip)  エーデルワイス / サウンド・オブ・ミュージック(映画)


ジュリーアンドリュースといえば、ボクが高校生のころだったと思うが、映画「メリーポピンズ」1964年 の中で、テンポ良く楽しく歌っているが、訳の分からぬ単語が出てきていたので、なけなしの小遣いをはたいてLPレコードを買った。これが自分が買った初めてのLPレコード(判るかな?)だったと思う。


レブンウスユキソウを見て、山の中を歩いているとエーデルワイスの歌やサウンドオブミュージック、ジュリーアンドリュース、メリーポピンズなどと薄くなった記憶がよみがえる。



スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス
Supercalifragilisticexpialidocious (from Mary Poppins)


そういえば、エーデルワイスとハヤチネウスユキソウが一番よく似ているというので、ドレミの歌とは雰囲気は全然違うが、大学の教員だった義弟といっしょに、親戚の元気な男の子たちを連れて、早池峰山に登ったことがある。あれはもう30年以上前のことだ。



ウスユキソウ
以下は参考まで
|植物図鑑|みんなの趣味の園芸(NHK出版) (shuminoengei.jp) 

・ハヤチネウスユキソウ
 Leontopodium hayachinense
 岩手県早池峰山の蛇紋岩地帯に生える珍しい塩基性植物。花がとても美し く、日本のエーデルワイスと呼ばれる。

・ヒナウスユキソウ
Leontopodium fauriei
東北地方の高山に多く見られる小型のウスユキソウ。芽出しと同時に花芽を伸ばす。高山植物らしい姿で人気がある。

・ホソバヒナウスユキソウ
Leontopodium fauriei var. angustifolium
ヒナウスユキソウの変種で、上越国境の蛇紋岩地帯に生える塩基性植物。葉が細く、全体的にスリムで締まりがよい。

・チシマウスユキソウ
Leontopodium kurilense
南千島産といわれる小型のウスユキソウ。花は大輪で全体に白毛で覆われる。丈夫で美しく人気が高い。現在流通している花が基本種かどうかは定かではない。

・エーデルワイス
Leontopodium alpinum
ヨーロッパアルプスに生えるウスユキソウの仲間。タネから育てた丈夫な苗が流通する。栽培下では大型になりやすい。

・ミネウスユキソウ
Leontopodium japonicum var. shiroumense
高山に見られるウスユキソウの変種。少し小型で締まりがよく、頭花は少なめだが、山野草的な雰囲気が強い。




礼文島
トレッキングコース
1~2時間から8時間コースまで幾つかのトレッキングコースがあり、標高は低いが高原の雰囲気が素晴らしい。















礼文岳に登る


礼文岳頂上

礼文島から利尻島を望む
利尻岳の上部は雲に被われて見えない



利尻島
これは以前6月に行ったときの遠景


同じ6月
利尻岳の遠景は素晴らしい


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礼文島 船泊遺跡

2024-07-18 | 歴史散歩

礼文島 船泊遺跡 砂丘



再び北海道礼文島を訪れた。
日本人のルーツをたどる際に重要な役割を果たした船泊にしばらく滞在した。
礼文島の船泊遺跡から発掘された人骨の遺伝子解析により縄文人の特徴が示された。
国立博物館の篠田謙一博士らのグループの解析が著名だ。


日本人のルーツ - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp) 


礼文島船泊遺跡と日本の人口 - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)




発掘現場は既に無く、辛うじて遺跡の看板があった




発掘現場には既に建築物がある





発掘された結果は、同じ礼文島の香深にある礼文町郷土資料館に展示されている。
写真OKだった。

















トド島展望台より船泊方面を望む



トド島展望台からスコトン岬とトド島がみえる


船泊から見た夕景
左はスコトン岬 右はトド島


左はスコトン岬 右はトド島


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安達太良山と智恵子抄

2024-07-08 | バイク・山歩き


安達太良山
福島県二本松市

「ほんとの空」は今回も曇天だった


高村光太郎 智恵子抄 (aozora.gr.jp) 

「智恵子抄」は高村光太郎の最愛の妻への想いに溢れている
数多くの詩の中の一つに「あどけない話」がある

「安達太良山の上に出ている青い空がほんとの空だという」
この句が有名になった

智恵子さんの望郷の念は強かった

なつかしい故郷の山河と空、風土に水、食物、取り巻く人々を含めた故郷がワンセットになって初めて「ほんとの空」になるのです

備忘録として転載させて頂きます
.........................................................
「あどけない話」

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
.........................................................


出版されたころは映画化された
安達太良詣が流行だった
最近はあまり人の話題にはなっていない気がするが、高村光太郎と智恵子さんの思いは永遠に残る




安達太良山は雲に覆われている

以前に登ったのはもう半世紀前のことだ
新幹線や高速道路で数えきれないほど通過した
下からは青空が見えた
安達太良山に登る意識はなかった
登ると曇天

次回は雲ひとつ無い快晴の時を待とう


















以下は最近の活動

日光に行った
霧降高原は生まれて初めてだった
噂に聞いた霧降高原のニッコウキスゲ
人も多かった
やっと来ることができた












運動不足を感じたら自転車
歩行補助器だ

仙台市荒浜から閖上(ゆりあげ)にかけてサイクリングロードができた
震災後の長い間、工事で海岸には近づけなかった
復興事業で自転車道も整備された

伊達政宗が整備した貞山堀に沿って走る
海岸沿いの松はほとんどが流された
だが松は現在も僅かに残っている

植林も始まっていてる
晴れた日は快走できる








そうこうしているうちにブルーベリーの収穫の季節になりました







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ふたたびの栗駒山

2024-06-14 | バイク・山歩き






栗駒山に登った
昨年11月以来だ
一応は山頂まで行った
確実に体力が低下している
年齢相応に甘んじて受け入れるか
もう一度鍛え直すか

弱音を吐くな!

















山頂からの下りは余裕が出る
花を愛でる

思いもかけず出てくる歌は

「野に咲く花の名前は知らない
だけど私に父はいない
いくさ知らずにはたちになって
あしたお嫁にいくの・・・」



ザ・フォーク・クルセダーズ 『戦争は知らない』 (LIVE音源) 1968年

 



あの素晴しい愛をもう一度 ✦ 加藤和彦&北山修

 




学生時代を思い出す
ザ・フォーク・クルセダーズのソノシートを買った
ギターも買った
ボロロンと鳴らした
ソノシートなど今の人には解らないだろうな
薄い紙のようなプラスチックのレコードだ

加藤和彦氏もはしだのりひこ氏も既に他界した

北山修氏は健在で精神科医になり九州大学で定年を迎え名誉教授になった













コメント (3)
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徳川家康ルート2

2024-06-11 | 旅・趣味・自転車ほか

徳川家康ルート2
前回からの続き
浜松城から関ヶ原まで




三方原古戦場跡

1573年(元亀4年)現在の静岡県浜松市中央区三方原町

織田信長徳川家康の連合軍が武田信玄と戦い、徳川家康が敗北して浜松城に逃げ帰った
この敗走を生涯の戒めとして、その後の合戦に臨んだという






三方原古戦場碑



三方原から長篠設楽原に向かう途中に井伊家発祥地の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ  臨済宗妙心寺派)があった

静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷


龍潭寺



龍潭寺

井伊直政は徳川四天王の1人で井伊家24代
徳川家康の家来として奮戦し、井伊直政は武田の赤備えを配下にした


子孫に井伊家36代彦根藩の井伊直弼がいる
幕末の安政の大獄の中心となった



長篠設楽原の戦い

1575年(天正3年)織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000が戦った。
織田軍の鉄砲三段撃ちが有名

 





長篠設楽原の戦い
織田は3万人 徳川は8000人







岡崎城
徳川家康はここで誕生した





岡崎城から徳川家発祥の地、豊田市松平郷までは約20km、車で30分ほど



松平東照宮

愛知県豊田市松平町赤原





松平家系図



徳川家康の祖先は時宗の僧 徳阿弥で関東から流れてきて入り婿となった
徳阿弥が上州の新田氏の系統にある

これで群馬県太田市の世良田東照宮の新田氏と愛知県豊田市松平町の松平東照宮がやっと繋がった









大高城趾

大高城趾

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いの直前、今川義元の配下にあった若き日の徳川家康が「兵糧入れ」を行った

同年直後、弱小の織田信長が大軍の今川義元を桶狭間で急襲して討ち取り、天下の趨勢が大きく変わった

27歳織田信長4000人、今川義元2万5千人

大高城と桶狭間の距離は5.5km、車で約15分



大高城趾





桶狭間の織田信長



1560年 桶狭間の戦い




小牧山城趾

現在の小牧市役所の前にある


1584年(天正12年) 小牧長久手の戦い
織田信長の次男織田信雄と組んだ徳川家康が豊臣秀吉と戦い、家康が遊撃戦を仕掛け勝利した
その後、織田信雄が秀吉と和睦したため、結局、徳川家康は秀吉の配下となった

その後1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い、1614年(慶長19年)大坂冬の陣、1615年(元和元年) 大阪夏の陣へとつながる










徳川家康 関ヶ原最終陣地

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い

徳川家康と石田三成の陣


関ヶ原 笹尾山 石田三成の陣






コメント (2)
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徳川家康ルート1

2024-06-09 | 旅・趣味・自転車ほか


今は昔、ディスカバージャパンという旅行キャンペーンがありました。

それにあやかった訳でもありませんが、コロナ禍のあとは海外に行く気にはなれず、国内巡りも面白いと感じるようになりました。題して「日本発見」の旅とでもしましょうか。

前回は神武天皇の東征ルートをバイクでたどりました。
日本発見 神武天皇の東征ルート - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)

今回の「日本発見2」Discover Japan 2 は「徳川家康ルート」です。日光東照宮と江戸城跡(皇居)は何度か行っているので今回の旅では割愛しています。

実はウチのカミさんが大河ドラマを好んでおりまして(このセリフはどこかで聞きましたね)、徳川家康ルートはそのリクエストの一つです。北海道をソロでバイクで旅行していると、熟年夫婦というかリタイアした相当なお年のご夫婦が大型バイクをタンデム(二人乗り)で旅行しているのをよく見かけます。お二人タンデムでのバイク旅行とは楽しげでうらやましく、絵になって麗しいものですが、いつも後ろに乗ってダンナさまの腰に手を回して餅のようにくっついている奥様の勇気と根性に畏敬の念を禁じ得ません。

自分のこととなりますと本人は免許を取って3年ほどの若輩者で、さすがにカミさんとのバイク二人乗りで900km近くを走るのはご遠慮申し上げたく、アチラさんも決して望んではいないでしょう。ということで今回は通常の屋根付き四輪車(自家用車ともいう)でいそいそと出かけました。もちろん走るだけなら全行程ノンストップで13時間ですが、この歳で走り屋や暴走族ではありませんので、見学する史跡が多く、途中の要所要所で宿泊しました。



群馬県太田市
世良田東照宮



群馬県太田市は鎌倉時代は新田氏の所領だった
新田氏では鎌倉時代末期の新田義貞が有名

徳川家康の先祖は新田氏の系統にあたえる









群馬県から圏央道を経由して厚木へ、東名高速で静岡へ

まずは静岡の久能山東照宮へ

歩かずに行けると思うと大間違い
1,000段の階段を上る
ロープウエーは久能山頂上まで車で行って、そこから久能山中腹の東照宮へ往復するという込み入った方法が必要

下から登ったので1,000段の階段を息を切らせ30分の登高。山ならば何と言うことはないが、階段の予定は無かったので疲れは倍増。往復の下降はヒザにこたえる。


久能山東照宮

















久能山東照宮

久能山東照宮
徳川家康公御廟


久能山から静岡市内の駿府城跡へは近い


家康は幼少期に人質となって今川義元の居城である駿府城に暮らしたことがある。天下統一後、江戸城は2代将軍徳川秀忠の居城となった。晩年の家康は駿府城に居住した。


静岡 駿府城跡

駿府城公園内の徳川家康像



駿府城趾から浜松城趾へ
織田信長方についた徳川家康は働き盛りの壮年期は浜松城に居住した

浜松城趾



浜松城の石垣


徳川家康を支えた三河武士団


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ツバクロやひもじくないか給餌待ち

2024-05-26 | 仙台・東北


ツバクロも親鳥と同じくらいの大きさになった
子供の成長は早い

仕送りを待つ大きな子供のようだ

親にとってはそれが生きがいになる

場合によっては巣から追い出す

奨学金だけでは足りないよ




案山子 さだまさし

  








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バラが咲いた

2024-05-22 | 仙台・東北

「淋しかった僕の庭にバラが咲いた」



 バラが咲いた マイク眞木 1966年
作詞・作曲 浜口庫之



















瞬く間に50年以上が過ぎた




さらば青春 小椋佳 1976年
作詞作曲:小椋佳

 
 




「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」


劉希夷「代悲白頭翁」

 





季節の中で 松山千春 1978年
作詞作曲:松山千春

 




現在は百花繚乱です



















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太平洋から日本海

2024-05-17 | バイク・山歩き

金華山が見える
七北田川河口 仙台港

5月は天気が良い
薫風に誘われてツーリング
約560km



周遊ルート
太平洋から日本海



おかえりモネ
登米市 宮城県

何年か前の朝ドラ



陸前高田駅前 四海楼
岩手県

昼食は名物マーボーラーメン




佐々木朗希は陸前高田の出身

お父さんは2011年津波で亡くなられた

四海楼の店主と佐々木朗希のお父さんは友達だったそうだ
朗希 頑張れ!




象潟海岸 秋田県



象潟海岸



秋田県象潟から鳥海山




鳥海山5合目から象潟方面を望む

アイゼンとピッケルは持ってこなかった
上に登るのは次回



5合目から鳥海山を望む



鳥海山5合目駐車場


長年にわたり両足を酷使してきた
長時間の歩行が困難になった

右足はシンデレラのガラスのような変形足首
左足はジュリエットの華麗じゃない外反母趾
(シンデレラさんとジュリエットさん、無断引用してゴメンナサイ)

バイクは歩行補助器の一つです



鉾立山荘




パーキング

ツバメさん おかえりなさい
巣を作っていた
のど赤き玄鳥(つばくらめ)・・・

かわいいツバメのヒナたちは未だタマゴかな?








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斎藤茂吉と蔵王

2024-05-06 | 仙台・東北
蔵王の御釜

久しぶりに蔵王を歩いてみた
冬期は火口湖が凍結しその上に積雪がある
ゴールデンウィークのころに一部を残して融解し水面が現れる



熊野岳避難小屋が見える

蔵王の主峰 熊野岳への登り
少し風が強かった


蔵王山神社の避難小屋



熊野岳頂上の道標


斎藤茂吉の歌碑
蔵王連峰 熊野岳頂上にある

「陸奥(みちのく)の・・・茂吉」



裏面には設置者銘が刻まれている

「昭和九年八月 高橋四郎兵衛建立 石工鈴木惣兵衛」



斉藤茂吉は山形県上山(かみのやま)の出身

帰りは上山に行ってみる


斎藤茂吉記念館は山形県上山市にある




齋藤茂吉先生像




「陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ」



建立した高橋四郎兵衛は実弟です

斎藤茂吉
1882年〈明治15年〉5月14日 - 1953年〈昭和28年〉2月25日)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現:上山市金瓶)の守谷伝右衛門熊次郎といくの間の三男
 
茂吉は14歳のとき
山形県上山から徒歩で笹谷峠を越え仙台まで行った
仙台から汽車に乗って東京へ行った
山形まで汽車が来ていなかったという
茂吉は見込まれて東京青山脳病院の斎藤家に養子に入った

開成中学
第一高等学校
東京帝国大学医学部卒

相当な秀才だった

ーーーーーーーーーーーーー
(訂正後)
斎藤茂吉(1882年生)は夏目漱石と一緒になった写真があった
茂吉は伊藤左千夫に師事したことがある
伊藤左千夫は正岡子規の門下
その関係で夏目漱石との集合写真が残っていたのだろう
夏目漱石1867年生 正岡子規1867年生 秋山真之1868年生
ーーーーーーーーーーーーー



茂吉の故郷上山への想いは強く
実母が危篤で一時帰郷し母親を見送っている

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」

高校の教科書に載っていたような気がする
今のボクにはずっしりと堪える歌だ






「旅する斎藤茂吉 その瞳は何を映したか」
4.27~8.31 斎藤茂吉記念館で開催中

斎藤茂吉は日本国中を旅している
ボクは最近、バイクや飛行機でやっと日本の各地を訪ねることができた

茂吉は留学時代ドイツほか各地を訪れている
ボクも茂吉が行った多くの都市を訪れた


茂吉は柿本人麻呂の研究者だった

柿本人麻呂 西暦680年ころ 飛鳥時代
古事記 712年 奈良時代
日本書紀 720年
万葉集 759年 日本最古の歌集 大伴家持ほか




環翠亭
斎藤茂吉記念館に隣接

蔵王連山を望む



茂吉が眺めた蔵王連山
熊野岳、刈田岳が見える



斎藤茂吉の別荘

箱根強羅にあった別荘 箱根山荘の「勉強部屋」の建物が
山形県上山市の斎藤茂吉記念館に隣接して移築された


斎藤茂吉の「勉強部屋」


箱根強羅の別荘にて
次男の北杜夫(斎藤宗吉)が親父茂吉の炊事など身辺の世話をしたそうだ

北杜夫は斎藤茂吉の次男
旧制松本高校から東北大学医学部卒

2011年の東日本大震災のあとの数年後に
山形で北杜夫の講演会が開催予定だったことがある
ボクはその講演会に行く予定だったが
北杜夫さんが体調不良とのことで中止になった
あれが最後の機会だった

ボクが上高地や穂高に何度も通うようになったのは
潜在的に北杜夫さんの影響が大きい

北杜夫「楡家(にれけ)の人々」は非常に面白い小説でした



斎藤茂吉の生家


生家の隣にある私塾

幼少のときの勉学は如何に重要かが判る




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