東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

夏が来れば

2023-05-29 | バイク・山歩き




尾瀬沼

2日ほど天気がいいので尾瀬に行った

「夏の思い出」
夏がくれば 思い出す
遙かな尾瀬 遠い空
・・・


定番 水芭蕉




尾瀬ヶ原では最近2回ほどの低温で霜が降り、水芭蕉は朽ちてしまったが、気温が上がりまた新しい水芭蕉が伸びてきたとのこと



尾瀬ヶ原 至仏山

午後も遅くなるとハイカーが殆どいない
尾瀬ヶ原の中央部に行く
木道途中の休憩用の板場で仰向けに寝転ぶ
目をつぶる
至福の時



尾瀬ヶ原見晴と燧ヶ岳


前回行ったのは4~50年前だ
その時は深い霧で何も見えなかった
おまけに雨が降っていた
良い思い出はなかった

六甲、丹沢、信州の日本アルプス、東北の山々
それ以外は殆ど行ってなかった
今回の尾瀬は天気が良かった
福島県側の檜枝岐方面から尾瀬御池口、沼山峠から入った
仙台から御池まで約300km
バイクで実質4時間30分
御池からシャトルバスで沼山峠へ
沼山峠から尾瀬沼、尾瀬が原見晴へハイキング5時間
見晴で宿泊
散策する
尾瀬を堪能する

穗高もいいが尾瀬もいい




尾瀬ヶ原見晴 第二長蔵小屋
空きがあったので宿泊



夕刻の散策
一泊すると体全体が自然の中に溶け込む



テント場は盛況


「夏の思い出」 
中田喜直作曲 江間章子作詞
歌 野々村彩乃/pf 乾将万




さて、話しは違うが映画「TAR」を観た
ベルリンフィルの首席指揮者の話だ
女性指揮者はフィクションだ
内容は性的マイノリティや人種問題もある
最近の世間の問題が入っていて少し重い
芸術家の個人権限は絶対君主のようだ
音楽に関する感性はやはり天才的だ

ボクはもちろん音楽の素人だ
原研時代に薫陶を受けた田坂先生はバイオリンを弾いていた
ボクは楽器を弾けずクラッシクには劣等感がある

しかし、冒頭のインタビューに応じる指揮者ターの答えが秀逸だ
知的な会話が身に染みる
劇中に出てくる音楽への考え方が魅力的だ
素人でも音楽を受け入れることが出来るのだ
「TAR」を観て音楽の世界に入ってもいいのだと思った
無防備で音楽を楽しむことが許されるのだ






御池駐車場



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柳田国男

2023-05-23 | 旅・趣味・自転車ほか

柳田国男 1875年(明治8年) - 1962年(昭和37年) 
兵庫県神崎郡福崎町生まれ、12歳で茨城県利根町に移り、16歳で東京に移った。東京帝大卒、農商務省に入る。

「遠野物語」1910年(明治43年)350部自費出版 35歳ごろ
日露戦争日本海海戦は1905年(明治38年)5月27日なので「遠野物語」の出版はその5年後になる。

柳田国男は東北の出身かと思っていた。先日、小生が松江から大阪に向かう中国高速道路の兵庫県内で神崎の道標があった。柳田国男はここで生まれたのだと感慨深かった。小生と同県出身であることを知らなかった。



早池峰神社 
 岩手県花巻市大迫町内川目1-1

先日の5月初旬、早池峰山登らざるの記(登山断念)の後は早池峰山の南麓にある早池峰神社に参拝した。その後、時間があったので「遠野物語」で有名な遠野市に向かった。遠野は通過した経験が何度かあったが、じっくり見学したことがなかった。



鍋倉城趾
遠野市街の南方

まずは地勢を把握するため鍋倉城の城山に登る。遠野は遠野南部家の所領で12,500石 。早池峰山の南麓から遠野までは山また山で花巻、一関、釜石、大槌などからも遠く離れており、山の中を車でひたすら走る。遠野市街が見えるとこの盆地が広大に見えて、何処にこんなに広い平地があったのかと思うくらいだった。さすがに平地がなければ12,000石の領地は維持できない。


鍋倉城本丸跡


鍋倉城趾より遠野市街を望む



佐々木鏡石(本名:佐々木喜善)
「遠野物語」は柳田国男が佐々木喜善から聞き取った物語をまとめたもので、取材源のほとんどが佐々木喜善自身から得ている。



南部曲り家


遠野の河童伝説


キュウリで河童釣り


柳田国男
著作「遠野物語」1910(明治43)35歳ごろ
「海上の道」1952(昭和27)77歳ごろ

「遠野物語」は民俗学の魁けと言われ、「海上の道」は晩年の新たな展開と言われる。上記2冊を読む。この間、約42年。柳田国男を理解するには膨大過ぎる。小生にはもう時間がない。せめて始めと終わりぐらいは垣間見ることをお許し願いたい。




波照間島 日本最南端 - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)

1月の波照間島南岸のベムチ浜で、小生は椰子の実が一個漂着していたのを見つけた。とっさに砂浜で島崎藤村の「椰子の実」を思い出した。ヤラセのようで、少し出来過ぎだなとほくそ笑んだ。

柳田国男は「海上の道」の中で愛知県渥美半島の伊良湖岬の砂浜で、椰子の実を偶然に見つけ、遠く黒潮に乗って来た日本民族の祖先に思いを馳せた。その話を聞いた友人の島崎藤村が詩を創ったと記した。柳田国男は明治の時代に「海上の道」を通って日本人の祖先が渡来し、稲作をもたらしたのではないかと思いを巡らした。

小生との発想の何たる違いか!

このコロナ禍の間、バイク免許取得から始まるツーリングと穗高の山歩きを主体に、北海道から沖縄までの地勢を見聞し、ほとんど人に接しない孤独の中に楽しみを見つけ、遠野で柳田国男に遭遇したことが、小生の旅に僅かながらもレーザービームのような一筋の光軸が見えた気がする。その意味でも今回は来るな、遠野に行けと足を向けさせた早池峰山は霊峰に違いない。

一冊の本は百万歩に勝る
また逆も真なり


「椰子の実」
島崎藤村 作詩  田中寅二 作曲
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる 
われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ 
実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂 
海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙 
思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん





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広島サミット

2023-05-18 | 安全保障


先週の原爆ドーム


G7広島サミットが明日から始まる

先週は広島に行った
警備が厳しくなっていた
高速道路のサービスエリアも警察関係のバスが一杯だ
他県から応援に来るらしい
行列が伸びていた

原爆ドームには外国からの観光客が多数いた

今回の外国要人が原爆資料館を訪れるかどうかが分岐点だ
日本は米国の原爆で大被害を受けた
ただ現在は中国、ロシア、北朝鮮の核兵器に対抗するため米国ほかの集団安全保障に頼らざるを得ない
ウクライナをみよ
ロシアの核兵器に恫喝されている
日本の左翼のお花畑思想では国を守れない
ロシアは核兵器を使うかもしれない
現象は起きてからでは遅いのだ
中国、北朝鮮も最初は核兵器で脅して来る
実際に核兵器を使用する可能性がある
原爆資料館を見よ
これが現実なのだ

戦争は起きてからでは遅いのだ
核兵器で攻撃されてからでは遅いのだ


広島城

広島は学生のころ「日本伝熱シンポジウム」で来た
ついでに広島市民球場でカープの試合を見た

企業に就職した後は、営業の担当者と一緒に耐熱耐火技術の売り込みで広島に来た
帰り際に広島駅4階?の「麗ちゃん」でお好み焼きを食べた

大学退職寸前に学生と一緒に広島に来た
「バイオマス科学会議」で二人の学生が発表した
一人はバイオマス利用の熱電変換を
あと一人は食品やバイオマス焼却灰の残留放射線を
学生は優秀な発表ということで表彰された
いい学生たちだった
帰りに原爆資料館に立ち寄った
お好み焼屋の店の名前は忘れた

今回は広島駅の「麗ちゃん」に行ってみた
店は上の階から一階に移っていた
昔は主人が黙々とお好みを焼いていた
今回は数人の若い職人が忙しそうに焼いていた
味はあまり変わらないようで懐かしかった



厳島神社
安芸の宮島


厳島神社


厳島神社
潮が満ちてきた

もみじ饅頭をみやげに買って帰った





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BEGIN石垣島

2023-05-16 | 旅・趣味・自転車ほか

BEGIN ライブ
仙台電力ホール 



沖縄名物 オリオンビール


避寒のために行った石垣島から仙台に戻ると、BEGINのライブがあったので早速行ってみた
BEGINは沖縄の石垣島の出身だ
比嘉栄昇、島袋優、上地等の3人で1990年にデビュー
比嘉さんのボーカルは心にしみ込む
 
名曲 BEGIN 「島人ぬ宝」20周年MV
  

「島人ぬ宝」 野々村彩乃の歌もあった 
 (Cover)

傑作はBEGIN「オジー自慢のオリオンビール」
  

沖縄は元々は明るいのだ
いつも反基地闘争をやっているのではないのだ
しかめっ面したジジババはマスコミが作り出した例外なのだ



石垣島の塩

小生が30年程前にNEDOに出向していた時、プロパーの職員が沖縄で自然の塩を造るといって、辞めていった人がいた。石垣島だったか与那国島だったか記憶にない。沖縄の塩を見る度に彼のことを思い出す。出向者の面倒をよくみてくれた優しいいい人だったな。



石垣島 乗馬体験も出来る



石垣島 ゆしどうふ


石垣島 闘牛場


石垣港
スキューバダイビングが盛ん



以下は仙台
電力ビルにMammutのテナントが入った
登山用具の良いものがある
値段は張る
一流品です




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城めぐり

2023-05-14 | 旅・趣味・自転車ほか

1.岐阜城 織田信長
別名、斎藤道三の稲葉山城としても名高い
現在の山名は岐阜金華山

岐阜城より関ケ原方面を望む

城に登ると周囲を見渡すことができる
標高が高くなくとも四方を見渡すことができる

山の頂上の登っても四方を見渡すことができる
そこに快感がある

石器時代の大昔から人は高いところに登った
頂上の高台からは獲物のマンモスがどこにいるかわかる
狩猟は男の役割だった
頂上からは敵がどこにいるかわかる
戦は男の役割だった

山の頂上や城などの高台に登るのに快感がある
大昔のヒトの習性が残っているからだそうだ

各地に旅をする
城のオタクではないのだが振り返ってみれば数多くの城址を訪ねている
地勢を把握するのには城や山が好都合だ




2.清州城
織田信長の居城
秀吉の清須会議でも有名


清須城の近くを新幹線が通る


3.墨俣の一夜城
羽柴秀吉 当時は柵で囲った砦のみ

墨俣城より岐阜金華山方面



4.小牧山城 
愛知県小牧市
織田信長、徳川家康


小牧市役所から小牧山城を望む
バイクや車の駐車には小牧市役所が便利です



5.洲本城
兵庫県淡路島洲本市
徳島藩の城代家老稲田氏が淡路島を治めた



洲本城から洲本市街を望む



6.吉田城
愛知県豊橋市


吉田城から望む


7.長州 萩城址
山口県


萩城の指月山から萩市内を望む



8.名古屋城


名城公園
名古屋城


9.松江城
島根県



松江城より松江市内を望む


10.三木城址 兵庫県

別所長治の像
秀吉三木攻めの悲劇があった

三木城址より三木市内を望む


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花巻東と宮沢賢治

2023-05-06 | 桐蔭学園

花巻東高校
大谷翔平(エンゼルス)と菊池雄星(旧マリナーズ、現ブルージェイズ)


花巻東高校
正面校門


花巻東高校 専用グラウンド
両翼98m センター120m



大谷翔平クンの横断幕

花巻といえば大谷翔平と菊池雄星の花巻東高校。一度は行ってみたいと思っていた。早池峰山に登ろうと花巻に行った。花巻東高校に立ち寄った。二人は一昨年のメジャーリーグのオールスターに選ばれた。WBC: World Baseball Classic で大活躍の大谷翔平さんの知名度は高く、最近では毎日のニュースになっている。
今をときめく佐々木朗希(千葉ロッテマリーンズ)は陸前高田で生まれ大船渡高校出身だ。岩手県出身のピッチャーは抜きん出ていて凄い。

花巻東高校は花巻市の運動公園に隣接し、同公園には市営の花巻球場があるが、すぐ近くに同校所有の両翼98mセンター120m専用球場があり、広々としたグランドと立派な校舎があり、大変恵まれた環境だと納得した。これに良い指導者がつけば優れた選手が育つのも納得だ。
同校は戦後設立の私学であるが、野球では大きな成果を上げた。目立ったのは大谷と菊池の垂れ幕の横にある大巻将人さん「祝合格東京大学」の垂れ幕だ。一流高校となるには進学実績も欠かせない。受験競争を煽ると批判もあるが東大合格者数は進学校のバロメーターだ。読み書きそろばんと言われるように、例外もあるが基礎学力を有することが全ての基本だ。そこからどう発展させるのかは進学した本人次第だ。

花巻東高校を見て、横浜あざみ野にある桐蔭学園を思い出した。桐蔭にも硬式野球の専用球場がある。桐蔭学園は横浜市北部と川崎市の最奥の境界にあり、昔は辺鄙な丘陵地帯だった。1964年(昭和39年)桐蔭学園設立、1971年(昭和46年)夏の甲子園初出場で全国優勝、1992年(平成4年)東大合格者114人。バラック小屋の高校が甲子園野球を全国制覇し、進学実績もピークに達した。理事長の鵜川昇氏が獅子奮迅の働きで学園を築き上げた。野球は夏の甲子園、ラグビーは冬の花園の全国大会に応援に来ておられ、奇しくも甲子園と花園での応援でお会いしたことがある。盆正月の関西への帰省に合わせて家族で応援に行った。鵜川さんが目指したのは端的に言って「文武両道」だった。残念ながら鵜川さんの亡き後は衰退した。甦れ桐蔭学園!




WBCに出場した山川穂高は富士大学の出身

富士大学は静岡県にあるのではなく花巻市にある。山川穂高は沖縄那覇市の出身というのだから野球界の人的交流は盛んだ。


さて花巻といえば宮沢賢治と高村光太郎。ボクが大学2年のころの傷心旅行を思い出す。晩秋に両巨人の生きた足跡を訪ねたことがある。賢治の庵と光太郎の山荘は決して豊かとはいえないが若い心を痛烈に刺激する。





宮沢賢治と高村光太郎




大迫町岳 県道25号線

早池峰山に登るために早朝に到着した。一応、可能かどうか調べてきたのだが、残念ながら5月19日まで通行止め。雪が残っているため大迫町岳から先の河原の坊、小田越方面は通行止め。林道歩きが往復4時間。その登山口から頂上往復の予定。軟弱だが早池峰山は諦めることにした。これも神の思し召し。


大迫町 岳の早池峰神社

荘厳な雰囲気のいい神社だ。岳は何度か通過したが早池峰神社は初めて参拝した。これまでの非礼を詫びた。まずは、これまで生かして頂いたことに感謝し、万事を祈った。

早池峰山は諦めてその後、民話の里、遠野に向かった。





余談ながら、東北の春から初夏は山菜の季節。知り合いの方からタラの芽を大量に頂いた。カミさんは全てを天ぷらにして一族に再配布。風薫る季節を堪能した。





さて、映画「銀河鉄道の父」が公開された。

早速この映画を観た。宮沢賢治とその父、妹トシとのやり取りが描かれていた。「生と死」は当たり前のテーマだが重くて避けられない永遠のテーマだ。

宮沢賢治の詩集「春と修羅」
永訣の朝

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
あめゆじゆとてちてけんじや
・・・・・・ 

「あめゆじゆとてちてけんじや」
この一句が鮮烈に蘇ってきた。



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