日韓主催のサッカーワールドカップは2002年に開催された。決勝トーナメントの日本とトルコの対戦は宮城県利府町にある宮城スタジアムで開催された。その日は雨がしきりに降る冴えない天候だった。何万円かする高額のチケットはインターネットで申し込んだが、あまりにも人気が高く当然のごとく入手できなかった。
記憶に残っている印象は鮮明では無いが、フリーキックがゴールバーに当たって跳ね返ったか、かすめて外れたか、あのあたりが運命の分かれ目だった。逆に相手のトラ刈りのフォワードにコーナーキックを頭で合わせられ、無念の失点で敗退した。一瞬の空白がありノーマークだった。相手選手がゴールの真正面にいるのに、誰もマークをしていなかった。頭一つ抜け出していた。中田英寿が声を張り上げ指示を出していたが挽回出来なかった。まさしくその場所は宮城スタジアム、つまり利府のサッカー場だった。チケットが無かったので仙台へ行けず、結局は横浜あざみ野から富士山南麓の十里木へ移動し、ビールと豆腐で固唾を呑みテレビ観戦した。
さて、先週は利府の町役場の前で「利府環境まるごとフェア2009」が開催された。共同研究者のブースに「バイオマスと太陽光熱利用の低炭素システム」のパネルとペレットストーブを展示させて頂いた。展示は子供たちの興味を引いており、主催者のご挨拶を伺っていると、町村の単位でも環境や温暖化といった言葉が自然に出てきており、関心が高いことを実感した。
利府といえば、前回の冬季オリンピックで金メダルをとった直後に荒川静香さんのパネルを役場に展示していた。利府は塩釜、松島と仙台に隣接し、スポーツ施設と大型ショッピングセンターや新幹線基地があり、近年大きく変貌している。
記憶に残っている印象は鮮明では無いが、フリーキックがゴールバーに当たって跳ね返ったか、かすめて外れたか、あのあたりが運命の分かれ目だった。逆に相手のトラ刈りのフォワードにコーナーキックを頭で合わせられ、無念の失点で敗退した。一瞬の空白がありノーマークだった。相手選手がゴールの真正面にいるのに、誰もマークをしていなかった。頭一つ抜け出していた。中田英寿が声を張り上げ指示を出していたが挽回出来なかった。まさしくその場所は宮城スタジアム、つまり利府のサッカー場だった。チケットが無かったので仙台へ行けず、結局は横浜あざみ野から富士山南麓の十里木へ移動し、ビールと豆腐で固唾を呑みテレビ観戦した。
さて、先週は利府の町役場の前で「利府環境まるごとフェア2009」が開催された。共同研究者のブースに「バイオマスと太陽光熱利用の低炭素システム」のパネルとペレットストーブを展示させて頂いた。展示は子供たちの興味を引いており、主催者のご挨拶を伺っていると、町村の単位でも環境や温暖化といった言葉が自然に出てきており、関心が高いことを実感した。
利府といえば、前回の冬季オリンピックで金メダルをとった直後に荒川静香さんのパネルを役場に展示していた。利府は塩釜、松島と仙台に隣接し、スポーツ施設と大型ショッピングセンターや新幹線基地があり、近年大きく変貌している。