東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

大鳥圭介と研究者 猪尾守之さんと中川由香さん

2021-12-23 | 歴史散歩
いきいき交流ふるさと館(兵庫県赤穂郡上郡町 大鳥圭介生家跡)

 先日は上郡(かみごおり)の大鳥圭介生家跡を訪問した。カミさんと一緒に行ったところ思いもかけず大歓迎された。いきいき交流ふるさと館の大鳥圭介塾塾長の猪尾守之さんから生の資料の丁寧な説明を受け、その上、パワーポイントプロジェクターを使用した1時間ほどの講義も受けた。多くのエネルギッシュなスタッフの皆さんの歓迎のおもてなしに感謝感激した。帰り際にはボクの体は大鳥圭介でいっぱいに満ち溢れるほどになった。

 大鳥圭介の人物像は幕末から明治にかけての偉人で知る人ぞ知るだが、意外に知られていないことが多い。1832年(天保3年)生まれで1911年(明治44年)没。幕臣として歩兵奉行を務め伝習隊を組織し、戊辰戦争では江戸城から逃れ、北関東から会津へと転戦し、仙台も経由し函館五稜郭に至り、五稜郭で降伏後は捕らえられて牢獄に3年間入った。
 江戸から五稜郭に至る間、土方歳三は組織上は大鳥圭介の配下にあったようだ。司馬遼太郎の「燃えよ剣」は小説とはいえ司馬史観に基づく土方の英雄視が強すぎるのではないかとのこと。
 大鳥圭介は出獄後に欧米の産業視察と外債募集を行い、工部大学校(東大工学部の前身)校長、学習院院長、華族女学校校長、清国在勤特命全権公使、朝鮮国公使などを歴任した。大鳥圭介は明治以降の技術系の基礎を作ったと言っても過言ではない。

 さて、大鳥圭介のことを知るに至ったのは明治維新の直後、淡路島の洲本から北海道日高地方の静内に家老の稲田氏ほか一族が入植したことにボクが興味を持ったことから始まる。その過程で中川由香さんというアマチュアの大鳥圭介の研究者をSNS上で知った。そのブログで彼女はバイク旅行で北海道の静内に立ち寄ったとき、静内は馬の生産地として有名になったが、もともと静内地方は淡路島からの入植者が開拓してきたことに驚いたと記していた。彼女は淡路の洲本市出身で開発途上国の前線にいてエネルギー問題に関する実務が本業のようだ。現在は大鳥圭介の栃木から会津、北海道の木古内や函館の戦歴調査をしているそうだ。凄いなあ!

 いきいき交流ふるさと館塾長の猪尾守之さんは京都大学の物理出身、湯川秀樹先生門下で卒業後は住友ゴムに勤務し、定年退職後に地元上郡出身の大鳥圭介を知り調査研究にのめり込み10年以上経過したとのこと。

 大鳥圭介は幼少から青年期にかけて漢学、蘭学、兵術、英語などありとあらゆることに興味を持ち、勉学に勤しんだ。悪ガキが勉学によって成長した。それが知識のみに止まらず実学として血肉化し行動となった。
 
 人間到るところ青山あり! ですね。

大鳥圭介 産湯の井戸


大鳥圭介の出身地 兵庫県上郡町


上郡町役場 大鳥圭介像
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12.8宣戦および終戦の詔書 国立公文書館

2021-12-06 | 歴史散歩
宣戦に関する詔書 昭和16年12月8日

国立公文書館

 奇しくも国立公文書館は旧近衛師団の司令部の近くにある。宣戦および終戦の詔書など歴史のキーポイントとなった詔書、天皇の公式文書が公開されている。昭和16年12月8日は日本と米英とが戦争に突入した日だ。米国では日付変更線の関係で1941年12月7日にあたる。
 日米は満州の問題から発して利権が交錯していたが、戦争の発端となったのは米国の日本に対する石油の禁輸だ。軍艦を動かす石油が1年分もないことから軍部を中心にしびれを切らして走り出したのだ。マスコミが扇動し国民がそれを助長した。
 現在に置き換えれば、再生可能エネルギーなどと浮かれている場合ではない。石炭石油LNGを確保し、原子力を活用する以外に道はないことを肝に銘ずることだ。再生可能エネルギーは国富蓄積と同時にエネルギー戦略を立て、国際的に先行する技術を確保しつつ進めれば良い。

宣戦に関する詔書
天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
 御 名 御 璽
  昭和十六年十二月八日
     各国務大臣副書

昭和16年12月8日の開戦の後、ポツダム宣言を受け入れ昭和20年8月15日の玉音放送に至る。 

以下は終戦の詔書
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国会図書館

2021-12-04 | 横浜・東京・東海村





国会図書館は国会議事堂の横にある
カミさんの従兄弟が長年勤務していた
彼は東大の文学部を卒業して国会図書館に勤めた
中国文学が専攻だった
当時日中関係はそんなに悪くなかった
定年まで勤務した
途中で大学に行ったようだ
年賀状の交換を長年続けた

今回の訪問は20年ぶりぐらいかな




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上五島の神徳さんとJAL清水保俊さん

2021-12-01 | 淡路・神戸・明石・京都
下五島 福江港


上五島 奈良尾港

 叔父の話はもはや遺言となってしまったが、終戦後に生船(なません)に乗っていた時「あなたの祖父や父とともに五島で大変お世話になった神徳(じんとく)さんという網元がいて、羽田沖の航空機事故でなくなられた」と聞いていた。

 下五島福江港のフェリー乗り場で時間待ちをしていたとき、年輩の方に話しかけられた。今は北九州に住んでいるが実家が五島にあるので訪ねてきたとのこと。
「バイク旅行はいいですね」
「神徳さんという網元はご存じですか」
「水産は上五島の方が盛んでした。今は昔ほどではありません」

 帰宅後に調べてみると神徳水産は宮崎県日南市にあった。しかし五島列島にはないようだ。さらに検索すると

「まき網漁業の歴史とわが足跡」神徳祥二郎 著 出版年月日1999.10 神徳祥二郎, 1921-   253p ; 21cm  JP20056015 出版地 奈良尾町 (長崎県) KW  沖合漁業 イワシ漁業 カツオ漁業

が出てきた。著者の神徳祥二郎は私の親父と年代が同じで、確かに上五島の奈良尾に神徳さんの一族の活動の拠点があったと推測できる。

羽田沖の航空機事故は2つある。
・1982年2.9(昭和57年)JAL DC8-61 福岡→羽田 羽田沖 死者24人/乗員乗客174人 
・1966年2.4(昭和41年)ANA B727-100 千歳→羽田 羽田沖 133人乗員乗客全員死亡

亡くなられた経営者の神徳さんは、出版された「まき網漁業」の本の著者とは別の方のようだ。

さて、航空機事故に関しては私の高校同級生で尊敬する清水保俊くんの出版物がある。清水くんはJALのフライトエンジニアでジャンボジェット機など1万時間以上のフライト経験があり、社内で教育にも携わっていた彼は小説を書いた。

清水保俊著 「グッドラック」 
 https://blog.goo.ne.jp/sstkbe320/e/ee2f502a404ed5f9708fbe380fa4eacc 1985年(昭和60年)8.12 JAL123便(B747SR-100)の航空機事故を扱った小説だ。
・「機長の決断 日航機墜落の「真実」」 (講談社文庫) 清水保俊   ASIN ‏ : ‎ B074KKPN93 (2017/7/14)
・航空機事故 人類は航空事故から何を学んできたか?単行本1997/5/1デイビット・ゲロー (著)、 清水 保俊 (翻訳)  イカロス出版 
・航空テロ 1930年から現在までの「航空犯罪」記録集 1997/12/1 デイビット・ゲロー (著)、 清水 保俊 (翻訳)  イカロス出版
がある。


 お世話になった神徳さん、最後は文筆家になった清水保俊さんに合掌。






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