東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

浄土ヶ浜から早池峰山

2021-10-31 | 仙台・東北




浄土ヶ浜は岩手県の宮古市にある
三陸海岸の名勝地だ
早池峰山に登ろうと思った
仙台からバイクで行った
早池峰山には朝早く出発して歩く必要がある
そこで宮古に一泊することにした

原子核工学専攻の同期生は約25名
大半は三菱日立東芝などのメーカーや電力会社などの原子力関連に就職した
ほかには大学や研究機関、牧師や僧侶のほか活動家などもいる
みんなもう既に退職した
何人かは他界した
宮古出身の同期生は就職せず風の便りではマグロ船に乗ったと聞いた
その時の巡り合わせで道を選べば行き着くところまで行く
人生一回りしたが結局はどの道も大差がないかも知れぬ
必死になって努力は必要だけどね

早池峰山は小田越から登った
バイクは少し離れた駐車スペースに置いた
当日は山頂が雲に覆われ雪が積もっていた
高所では強い風が吹いていた
5合目まで行った
みんな上部から引き返してきた
女性連れの登山者は全て引き返してきた
真冬の装備をした3割ぐらいの人が上に向かった

雪混じりの強風の中で頂上まで登っても楽しくはない
頂上まで行けないこともある
人生こんなものか
山は逃げないと自分に言い聞かせて下山した








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八幡堀 近江商人

2021-10-27 | 淡路・神戸・明石・京都



学生時代には神戸のJR灘駅から京都に通学していたことがある
灘から芦屋まで普通電車で行き、快速か新快速に乗り換える
その時の電車の行き先は京都、草津、安土、米原などだったと思う
近江八幡はあまり記憶にない

後年、会社に入り、I君という若い人が近くに配属された
彼は優秀で京大の航空から大学院は東大の宇宙科学研究所に行った
初対面のとき彼は「八幡の出身です」と言った
ボクは「八幡はどこ?」と聞いた
「近江八幡ですよ」
快速電車の行き先の駅しか知らないボクは
「草津? 安土? 米原?」
などと間抜けで失礼な会話をしたことを思い出した
近江八幡は近江の中心なのだ

近江八幡に来たのは生まれて初めてだ
横浜と神戸の間は新幹線や車で何度往復したか数知れないというのに!

今回、近江八幡に来たのはカミさんのリクエストだ
近江商人のふるさとを見たいとのことで

信長の安土城建設の一大プロジェクトがあり
人も金も膨大な市場ができた
それに楽市楽座で益々繁栄する
安土城炎上のあとは豊臣秀次の八幡城だ
楽市楽座は継続した
地元の近江商人が黙っているはずがない
その膨大な利益をもとに堺や全国へ
「黄金の日々」ではルソンまで行った話がある

琵琶湖は水運が盛んだった
水運が商売の雌雄を決する
大量輸送には船が最も効果的だ

水運や海運業は昭和の高度成長期まで続いた
祖父と父は生船(なません)乗りをやめた
生船は水産運搬業だ
2人で船を買った
鉄鋼製品の海運業を始めた
自分が大学に行けたのは海運業のおかげだ
祖父と両親に感謝、多謝!






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月山 10月中旬

2021-10-25 | バイク・山歩き





月山の姥沢側は夏スキーで行ったきり
秋は初めてです
頂上稜線の紅葉は既に終了
見どころは中腹に降りてきていた
スキーにはいい斜面です
草紅葉が綺麗だった




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ラコリーナ(ナンジャコリャ)近江八幡

2021-10-22 | 旅・趣味・自転車ほか



近江商人のふるさとを訪ねて近江八幡へ行った
叡山から三井寺、石山寺を周り近江八幡に引き上げた

近江八幡にたどり着いたら大きな施設を見つけた
広大な土地を占拠している
どうもお菓子屋らしい
「ラコリーナ近江八幡」となっている
こんな建物で儲かるのかな?

近江八幡は古い町だ
ここには多くの若者が集まっている
奇抜な建物だ
閉店間際に行った
バウムクーヘンが有名らしい
近江商人は先見の明があるのか?

屋根に土が盛られている
屋根に雑草が生えている
ひさしから水がポタポタと滴り落ちている
敷地の中に田んぼがある
しかも稲刈りの後だった

どこかで見たスタイルだなと思った
東大の生研(生産技術研究所)の藤森照信先生を思い出した
記憶をたどれば「ニラハウス」というのがあった

先ほど検索してみた
やはり藤森照信先生の作品だった




コメント (2)
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一乗谷 越前朝倉氏の滅亡

2021-10-20 | 歴史散歩




一乗谷は越前朝倉氏の居城というか屋敷があった
朝倉義景は織田軍に攻められ天正元年(1573年)に滅亡した
一乗谷の朝倉義景の屋敷とその周辺はかつては京都より京都らしいと権勢を誇ったという

一乗谷は両側面が山で川沿いは細長い平らな土地である
谷の前後を固めれば防御は容易
ただし軍が劣勢になれば陣地の優位性を失うのは仕方がない





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北ノ庄城趾 柴田神社

2021-10-18 | 歴史散歩






北ノ庄は名前は有名で聞いたことがあるが、
現在の福井市内にあるとは知らなかった。
福井城と北ノ庄城跡は500mも離れていない。
近接していて目と鼻の先だ。

北ノ庄城跡には柴田神社がある
柴田勝家はここで自害した
お市の方も共に果てた
しかし茶々、初、お江の三姉妹は逃れた

驚いたことに北ノ庄城趾に柴田勝家の第六男、六之助の名前があった。

私事で恐縮だが、小生のカミさんは柴田勝家の第六男の系統で
北ノ庄で敗走したのち、上杉に助けられ
米沢に行った後、仙台に来たという。
上杉は米沢に移封され、伊達は米沢から岩出山経由で仙台に定着している。
仙台には柴田の家系図もあるらしい。

柴田神社の資料館の担当者によると肖像画は名古屋の子孫が所持していたとのこと。
画家の平山郁夫さんも柴田の家系であることを名乗り出て、絵画を寄贈されたという。









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金沢城と兼六園

2021-10-08 | 歴史散歩


金沢は加賀前田百万石の城下町

入社後間もないころ、金沢で開催された日本伝熱シンポジウムという伝熱流動を主体とするシンポジウムに参加したことがある。機械、化学、電気、原子力、物性など学会横断型のシンポジウムで、自由な雰囲気があり若い頃にはよく参加し発表もした。

そのころ金沢大学は金沢城趾の中にあったような気がする。現在、同学は郊外に移転したようだ。

金沢には香林坊という繁華街がある。仙台でいえば国分町、札幌ではすすき野にあたる。記憶に残っているのはシンポジウムの懇親会あとの流れの2次会ということで、同シンポジウムで重鎮といわれた著名な先生方のあとに誘われてついて行き、その談笑の中にかしこまって参加していたことだ。機知に富み自由な会話のやりとりに心地よい酔いが加わった。その中に後に同学の学長になられた先生も参加していたような記憶がある。

金沢城と兼六園は、当時も行ったはずだが鮮明な記憶が無い。近年は財源を投入したようで見違えるように立派になっていた。

仙台ももう少し史跡を充実させた方がいいですね。
頑張れ伊達62万石!



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沖縄高専

2021-10-01 | 旅・趣味・自転車ほか

昨年のGOTO沖縄で辺野古の立地状況を確認した。
名護市辺野古の埋め立て工事現場に行ったところ、近くに沖縄工業高等専門学校があった。
意外なところで遭遇した。

元の同僚が校長先生として赴任していることを風の噂で聞いていた。
その高専が辺野古にあったのだと軽い驚きを覚えた。
いざ正門にたたずんで考えた。
そんなに知らない仲でもないのでご挨拶にでもと考えた。
校長にしてみれば公務中に急に面会に来られても迷惑だ。
ボクの中の常識が非常識な行為を止めた。
校門に立って校舎に向かって頑張ってくださいと一人でエールを送った。

校舎の前に道路をはさんで大きな寄宿舎があった。
空中回廊で結ばれている。
道路を挟んだ空中回廊の配置は横浜あざみ野の桐蔭学園に似ている。
桐蔭の男子部の向かいに女子部がある。
学園祭のバザーで男子部から空中回廊を渡った記憶がある。

ところで、沖縄から帰ってネットで確認したところ
既に校長はその年の3月末に退任していた。
この錯誤感を何と表現するか
一件落着!







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