人は自分自身が老いることをどの様に捉えるか。自分が50代になってから時々考えることがある。人生や仕事においても沢山の経験や多くの人との出会いをし、体力の衰えを徐々に感じながらも充実した日々を送ろうと懸命に頑張ろうともがいている。
しかし、一般社会の中では確実に自分より若い世代が中核となりつつある現実があるので、様々な経験をどの様にそうした世代に伝えていくのか真剣に考えている。
サラリーマンなら定年が近づいている、自営なら後継者を探さなければならない、そんな年齢であることには間違いない。ところが議員社会はこうした一般社会では常識的な意識がなかなか働かない。当選回数や年齢が何かにつけて重要視され、同じフィールドで選挙をして議員になったのに、こうした偏重や慣例を打ち破ることが難しい。
また大概は、そした長老は「自分が一番」でなければ気がすまない人たちが多い。
口では若いものを育てる立場と言っても、現実は若い世代に乗り越えられることを恐れ、慣例や独自理論を正論化して何かにつけて口を挟むのである。
自分自身の戒めとしてこうした「老害」的対応には気をつけなければならないと思う。
経験を積み重ねた者の立ち振る舞い方の理想は、若い世代の意見にも謙虚に耳を傾け、大局的見地から言動を行う、普段は温厚で無口、など理想と言われるかもしれないが、本当の意味で頼られる立場になりたいものである。