すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

何度も対話したくなる本

2020年03月21日 | 読書
 勤め先である図書館に並べられている本を読み、買って手元に置きたいと思ったのは、これで2冊目となる。最初は『最初の質問』(詩・長田弘 絵・いせひでこ 講談社)という絵本。そして、今度はこんな題名である。

 【本を読めなくなった人のための読書論】(若松英輔 亜紀書房)


 初めて目にする著者だ。奥付をみると批評家であり随筆家であり、大学教授でもある。詩集も出している。多才な方なのだろう。それにしても、図書館に置く一冊として、意外性のある、いやひねりのある書名だ。手にとってみたくなった。上下に余白を十分取った体裁。行間も広い。「読めなくなった人」にやさしい


 実は自分も「読めなくなった」感覚が大きくなっている。それは目だけでなく、頭の老化なのかなとぼんやり思っている。以前も書いたが、前世紀末(笑)の99年に「99冊を読む」と宣言し、一年だけを除いて年間100冊以上読破してきた。しかしここに来て、そんな読み方が今の自分にふさわしいか、迷いが出ている。


 第一章「待つ読書」の冒頭は「読書は対話」の項だ。それ自体はよく言われていることだが、ここに記された「対話であるための条件」には、考えさせられる。四つが掲げられていた。

・偶然であること
・突然に起こること
・一回しか起きない
・持続的に深化する


 初め教育書を中心に読み、次第に半数ほどになり、そして今は全くジャンルなしの乱読になっている。この読書は「対話」となり得ていたか、そしてなり得ているか。自分の心を探ってみたくなった。実用的に読んだことが多い。著者の内面を探ろうとした時期もある。もちろん、楽しむだけのページめくりもあった。


 結局「読むとは何か」という問いに突き当たる。格好つけて言えば、そのために読んでいる。その答を探すために多くの本を手にとったのではなかったか。そして正解はどうやら、本の側にあるのではなく、読み手である自分の側にあることに気づく。何度も対話したくなるような本と出会えたことの幸せは大きい。