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不確かなリスクと向き合う

2020年03月16日 | 雑記帳
 先週「Fukushima50」を観たのでよけいに印象付けられたのかもしれないが、昨夜のNHKスペシャル「メルトダウンZERO 原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」は、ずいぶん考えさせられた。

 原発の津波対策を考える機会が何度もあり、それを実行に移せなかったことが語られる内容だった。

 震災後、原発事故後に『想定外』と毎日語られ、私達の頭にも浸透した。そこには天災ゆえの諦めのようなニュアンスも滲んでいた。
 しかしこの番組を観れば、それはまさしく「想定」されていた一部なのである。
 過去の巨大津波「貞観津波」の例が提示されているにも関わらずに、それを「参考」の位置まで貶め、対策を取ってこなかった。

 責任の中心は、東京電力や解散させられた規制当局である原子力保安院に向けられるが、実際は安全神話を信じ横並びを重んじる日本人の体質そのものにあることは明白だ。
 地元自治体の意識も加担していることも見逃せない。当然それはそこまでの行政のあり方、有権者の選択が背景にあるのだ。


 「不確かなリスク」という語の持つ、ある意味の都合よさに私たちは惑わされてはいけない。
 不確かだから許されるものではなく、常にリスクを背負う覚悟が求められる。

 施策や自らの行動に優先順位をつけていくために忘れてならないことを今改めて考える。
 特に災害等を防止、抑止するためには、情報の科学的根拠そして結論に至るまでの透明性が担保されねばならない。

 新型ウィルス感染という危機にあたっても、それは全く同じなのだろう。