すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その一言は温かい工夫

2020年03月17日 | 雑記帳
 旅に出たときの、ちょっとした楽しみの一つに地元新聞を読むことがある。大きな中央紙の地方版もいいのだが、やはり県独自の新聞社が発行しているものがより個性が出るような気がする。全国的な話題は共同通信社があるので、さほど変わりないだろうが、レイアウトや独自のコーナーなど個々の工夫に目が向く。


 隣県の温泉に宿泊したとき、嬉しいことに部屋へ地元紙が届いた。どれどれと手に取る。最初にぱっと目に付いたのは、いつも見ている秋田魁新報より「行間が広い」ということだった。実際は0.数ミリだろうが感じがずいぶん違う。ということは情報量に差が出るか。見やすさの優先をとるか。大きな決断だろうな。


 と単純に考えたのだが後で較べてみたら、実は行数は同じだった。活字フォント幅が違うことが理由だった。そういえば以前地元紙の読者委員会に参加したときが、ちょうど変更期にあたり感想を問われたことがあった。習慣によって見易さも左右される。しかし小さい配慮や工夫によって一枚のページが出来上がる。


 日曜日だったからか「小中学生」向けの別刷りもあった。これは本県と版そのものが違い半分の大きさ。小学生ならばこちらが手に取りやすいかもしれない。パッと目に入りやすいことは確かだろう。構成やら印刷等諸々の問題があるので一概に言えないが、若い読者に新聞を根付かせるためには、地道な努力が必要だ。


 その他いろいろ違いはあったが、一番おっと思った微細な箇所が「おくやみ」欄である。そこにこういう記述が…「『』は遺族の話」。お名前、住所、年齢、葬儀等々の全国共通に記される情報に続き、1行~2行程度の一言が添えられ、網掛けで載っていた。どれも平凡な言葉だけれども、温かい工夫だなと感じ入った。