前回の続きである。
過程ってのは、その局だけでなく、その半荘だけでなく、先に辿ろうと思えば、いくらでも辿れるものである。
必ず物事には起承転結がある。
それを知れば知るほど、中身のある麻雀になるし、常日頃思うのが、ただ起承転結の結だけが、ピックアップされてそこに何の感動があるのか?ということだ。
質より量という問題もそこにある。
もちろん、多少雑でも、労力は掛かるが、そういうスタンスでやった方が麻雀では長い目で見て結果が残るというのは分かる。
だけれども、ただ、それだけなのだ。
麻雀は先がまだ見える百発勝負よりも、後がない一発勝負の方が絶対に緊張感があるし、そこに全てが凝縮されていて、充実感もある。
量より質
そこに打ち勝てる過程、理由など、どこにあるというのだろうか?