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投げ込み寺 浄閑寺
寺院名 栄法山清光院浄閑寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
開基 明暦元年(1655年)で開山上人は、天蓮社晴誉順波和尚である。
浄閑寺は安政2年(1855)の大地震の際にたくさんの新吉原の遊女が投げ込むように葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
檀徒のほかに、遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、慈十冊の過去帳が現存する。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。
私たちの宗旨
名称 浄土宗
宗祖 法然上人(源空)
開宗 今から八二〇年ほど前(承安五年)
本尊 阿弥陀仏(阿弥陀如来)
教え 阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかなな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経 お釈迦さまがお説きになった無量寿経、観無量寿経、阿弥陀仏経の三部経をよりどころとします
日本堤
日本堤(にほんづつみ)は、東京都台東区の町名[1]。現行行政地名は日本堤一丁目及び日本堤二丁目。住民基本台帳による2007年12月1日現在の人口は5,695人。郵便番号は111-0021。
地名の由来
日本堤の名はもともと江戸時代初期の元和6年(1621年)に作られた土手道を指したもので、現在の土手通りにあたる。土手は、浅草聖天町[4]の今戸橋(待乳山聖天付近)から箕輪浄閑寺にかけて、水路に沿って築かれていた。下流の山谷堀近辺では両岸に土手を築いていたことから「二本堤」と呼ばれるようになったという。吉原が移転してきてからは「吉原土手」「かよい馴れたる土手八丁」などとも呼ばれ、遊びに通う江戸っ子たちで賑わった。この日本堤は1927年(昭和2年)に取り崩されている。
東京メトロ、都営地下鉄 浅草駅
東武線 浅草駅 東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅
浅草、三ノ輪間の行程は5km
程度になります。
20170414 東京北東 商店街
東京都台東区三ノ輪
日本提土手の伊勢屋
吉原遊郭唯一の出入り口だった吉原大門の近くに、初代店主「若林儀三郎」が創業。当初の屋号は「伊勢屋」でしたが、店の前に「土手」があったことで「土手の伊勢屋」と呼ばれるようになりました。創業より吉原を訪れるお客様でお店は繁盛。朝は朝帰りのお客さん。昼は一般のお客さん。夜は吉原に勤めているギュウタロウ(客引き)など。夜中には吉原遊郭への出前。24時間体制でお店を運営しておりました。
震災前までは隅田川の支流が近くに流れており土手(通称:吉原土手)になっていました。創業当初からの建物は土手に引っ掛けるような建て方をしており、”土手側は2階建、裏から見ると3階建”のような建築物でした。震災により土手も崩壊して、近隣も全滅。区画整理により土手を切り崩して土地が縮小。現在の店舗に新しく建て替えました。hpより
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