中年おじさんの散策part2

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施設案内東京-5 雷門(風雷神門)

2023-10-28 06:00:23 | 施設案内・東京

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雷門(風雷神門)
 天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたといわれる。
 当初は、伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的としてこの二神がまつられたもので、一種の護法善神(ごほうぜんしん)と見るべきものであったが、さらには、風雨順時の天下泰平、五穀豊穣の祈願もこめられるようになったものと推測される。
 現在の門は、慶応元年(1865)12月12日の田原町大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により、復興再建され、浅草寺の総門として威容を誇っている。また、浅草の顔としても全国的に有名。

 

 

 

201070711 東京北東 仁王像
東京都台東区浅草
            雷門近辺
 「雷門」と書かれた赤い大提灯。浅草のシンボル・雷門の前は、記念写真におさまる国内外の人びとでいつも賑わっている。
 雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。慶安2年(1649)に徳川家光が諸堂を再建したときの雷門。御遷座の行列が本堂に向かって進む(「慶安縁起」)。
 風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。風神と雷神は名のとおり風雨を司る神であり、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られた。同時に、風雨順時と五穀豊穣の祈りも込められている。 風雷神門がなぜ「雷門」と呼ばれるようになったかは不明であるが、文化年間(1804~18)の川柳に、「風の神雷門に 居候」という句が見え、この頃には雷門という名称が一般化していたようである。hpより    

 

 

 

 

 

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