中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

像-142 八津御嶽神社

2016-11-30 04:03:48 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20160213 東京南西・像
東京都中野区本町
      八津御嶽神社
  当神社は800余年の歴史を有する八津御嶽神社の分社として、大正10年に本宮(現在の山梨県南巨摩郡南部町)より、一人の神主が東京(現在の地ではなく、当初は現在の浅草橋界隈)に出てきたことがはじまりです。以来、いにしえよりの教え(神の心にしたがって、罪穢れなく、清らかで、明るくおおらかに生きる)に従い、「夫婦、そして家庭が円満で幸せであってこそ、国の未来も拓かれる」という(自家成立)の考え方を堅持。現在でも首都圏に暮らすご家族の幸せを支える守り神として、多くの皆様に親しまれています。主祭神
元無極体天御中主国常立之尊産土之大御神
祭神
大国主之命 事代主之命 大己貴之命 少名彦之命 天津児屋根之命 天津大山祇之命

 

 

 

新宿での仕事、昼は時間があったのではしごランチ②。路地の立ち飲み屋の590円のステーキランチ150g。

...中野から新宿までを楽しむ旅。「土佐料理 祢保希 新宿店」...リーガーハット)で餃子をつまみに麦... 中年夫婦の外食 2016/08/22 02:24...
中年夫婦の外食 2016/09/27 04:53:00

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像-141 福寿院

2016-11-30 04:01:29 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20160213 東京南西・像
東京都中野区本町
              福寿院
 真言宗豊山派寺院の福寿院は、南光山医王寺と号します。福寿院は、智真上人が開基となり元応元年(1319)に創建、僧寛宥(享保11年1726年寂)が新義真言宗に改めたといいます。
  当院は元応元年に智真上人の開基と伝えられている。
本尊の薬師如来像は、弘法大師の作と伝えられていて、一体を当院に安置し、他の体は新井薬師の本尊としたという。なお、この本尊は霊仏であり、今日でも秘仏となっている。
また当院の境内にある弁財天は、井之頭の弁財天の娘であるとの言い伝えもある。
文化財として、文和3年(1354)、貞治4年などの銘のある板碑(鎌倉時代に流行した卒塔婆の一種で石で作られている)。が保存されている。(「中野区寺院案内」より)  

 

 

 

 

新宿での仕事、昼は時間があったのではしごランチ②。路地の立ち飲み屋の590円のステーキランチ150g。

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観音像 - 230 ほほえみ観音  神田川 成願寺

2016-11-30 03:58:09 | 仁王像・観音像等

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20160213 東京南西・梅・像
東京都新宿区西新宿
      神田川 成願寺
 多宝山成願寺の本山は、道元禅師さまがひらかれた福井県永平寺と、瑩山禅師さまがひらかれた横浜市總持寺です。今から約650年前、中野長者 鈴木九郎が、
小田原大雄山最乗寺五世舂屋宗能禅師様の教えをもとに出家し開創した、 観音様ゆかりの寺です。 
  開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきた商人であった。商売が成功し、財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。鈴木九郎には小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、九郎に深い悲しみを与えた。これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりである。1438年のことであった。
名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが、江戸時代に成願寺と改められる。幕末には一時、新撰組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社(現:新宿区西新宿)の熊野神社が分離され、現在に至っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京夕東京夕暮れさんぽ「居酒屋編」① 第3回 新橋から銀座の裏路地巡り「三州屋」すら「むつ味」

...神田川... 中年夫婦の外食 2016/04/11 06... ... 中年夫婦の外食 ...
中年夫婦の外食 2016/10/11 06:50:00

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像-140 神田川 成願寺

2016-11-30 03:53:27 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20160213 東京南西・梅・像
東京都新宿区西新宿
      神田川 成願寺
 多宝山成願寺の本山は、道元禅師さまがひらかれた福井県永平寺と、瑩山禅師さまがひらかれた横浜市總持寺です。今から約650年前、中野長者 鈴木九郎が、
小田原大雄山最乗寺五世舂屋宗能禅師様の教えをもとに出家し開創した、 観音様ゆかりの寺です。 
  開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきた商人であった。商売が成功し、財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。鈴木九郎には小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、九郎に深い悲しみを与えた。これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりである。1438年のことであった。
名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが、江戸時代に成願寺と改められる。幕末には一時、新撰組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社(現:新宿区西新宿)の熊野神社が分離され、現在に至っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京夕東京夕暮れさんぽ「居酒屋編」① 第3回 新橋から銀座の裏路地巡り「三州屋」すら「むつ味」

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像-138 長円寺 魚籃観音

2016-11-29 03:13:40 | 

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20160212  東京北東 地蔵
東京都足立区千住
    長円寺 魚籃観音
 新義真言宗の長円寺は、月松山照光院と号します。長円寺は、出羽湯殿山の行者雲海が寛永4年(1627)当地に庵を結び、後に賢俊が開山したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場47番札所、荒綾八十八ヶ所霊場62番札所です。
 新義真言宗の当寺は、延享元年(1744)の縁起によると、寛永4年(1627)出羽湯殿山の行者、雲海がここに庵を結ぶ、とある。後に、賢俊が開山する。九代将軍家重の延享年間16世栄照の代は、殊に栄えた。
本尊は木造の薬師如来小立像であり、定朝風の名作である。
扁額「月松山」は、明治2年(1869)、当地の寺子屋「群雀堂」三代の校主、正木健順の筆である。「心香り尼碣」は、同じく二代校主、正木大助の撰文で、心香尼の人となりと叙したものである。
その他、魚藍観音・目やみ地蔵・宝篋印塔(享保17年)・乳泉石等がある。(足立区教育委員会掲示より

 

 

 

 

今日はカルチャーで両国を案内。昼はちゃんこ鍋。珍しく江戸沢でちゃんこ鍋を賞味。

...千住2軒目は、氷見で名物の「千住揚げ」を試してみた。...両国、回転寿司元太でワンコイン(500円)ランチ。おしぼり・味噌汁付き(あさり)。...北千住で入ったことのある店と雰囲気が合う。聞けば、やはりそうらしい。 その決めてとなったのは、...
中年夫婦の外食 2016/06/14 05:22:00

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