中年おじさんの散策part2

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施設案内東京-9 日本堤

2023-11-01 06:29:02 | 施設案内・東京

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日本堤
日本堤(にほんづつみ)は、東京都台東区の町名[1]。現行行政地名は日本堤一丁目及び日本堤二丁目。住民基本台帳による2007年12月1日現在の人口は5,695人。郵便番号は111-0021。
地名の由来
日本堤の名はもともと江戸時代初期の元和6年(1621年)に作られた土手道を指したもので、現在の土手通りにあたる。土手は、浅草聖天町[4]の今戸橋(待乳山聖天付近)から箕輪浄閑寺にかけて、水路に沿って築かれていた。下流の山谷堀近辺では両岸に土手を築いていたことから「二本堤」と呼ばれるようになったという。吉原が移転してきてからは「吉原土手」「かよい馴れたる土手八丁」などとも呼ばれ、遊びに通う江戸っ子たちで賑わった。この日本堤は1927年(昭和2年)に取り崩されている。
東京メトロ、都営地下鉄 浅草駅
東武線 浅草駅 東京メトロ日比谷線  三ノ輪駅
  浅草、三ノ輪間の行程は5km
  程度になります。

 

 

20170414 東京北東 商店街
東京都台東区三ノ輪          
日本提土手の伊勢屋
吉原遊郭唯一の出入り口だった吉原大門の近くに、初代店主「若林儀三郎」が創業。当初の屋号は「伊勢屋」でしたが、店の前に「土手」があったことで「土手の伊勢屋」と呼ばれるようになりました。創業より吉原を訪れるお客様でお店は繁盛。朝は朝帰りのお客さん。昼は一般のお客さん。夜は吉原に勤めているギュウタロウ(客引き)など。夜中には吉原遊郭への出前。24時間体制でお店を運営しておりました。
震災前までは隅田川の支流が近くに流れており土手(通称:吉原土手)になっていました。創業当初からの建物は土手に引っ掛けるような建て方をしており、”土手側は2階建、裏から見ると3階建”のような建築物でした。震災により土手も崩壊して、近隣も全滅。区画整理により土手を切り崩して土地が縮小。現在の店舗に新しく建て替えました。hpより

 

 

 

 

 

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