INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

お役所前の風景(83)

2009年09月17日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
東京都千代田区の「霞ケ関」バス停。
これまでたくさん取り上げてきた「お役所前」の中で最高峰(?)である。

「霞ケ関」はお役所関係、「永田町」は国会、「兜町」は株式関係、「桜田門」は警察…など、東京の地名が「代名詞」となっている例は多いが、福岡でもそういうのってありますかね?
(つづく)

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2 コメント

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Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-09-16 09:36:02
「橋63」系統のバス停ですね。

この路線、「霞ヶ関」のほかにも、「通産省前(現在は経産省前)」、「国会議事堂前」、「永田町」などのバス停があり、いかにも東京の中枢、いや日本の中枢にいることを実感させてくれる路線です。
かと思えば、市ヶ谷から先はワンブロックごとに町名が変わるような「牛込」の古い町並みに入っていき、最後はコリアンタウンでもある大久保が終点という変化に富んだ路線です。途中で2ヶ所も右折禁止の大きな交差点をこのバスだけが他のクルマに逆らうように右折します。また、永田町から麹町方面に右折するところは、片側4車線の道で信号もないところを、勿論ほかのクルマは一切右折禁止なのですが、対向車を強引に遮断しながら右折していくという「荒業」を披露していました。ここは現在では迂回運行により「荒業」を解消していますが。

うん十年前、学生として初めて東京に住むようになり、文句なくトップクラスにおもしろい路線と思ったものでした。当時は大久保からさらに大久保通りをまっすぐ進み、中野駅に達し、さらにその先の住宅街の中の「下田橋」が終点で、都営バスと京王帝都電鉄の相互乗り入れ路線でした。新橋や霞ヶ関あたりを「下田橋」と書かれた行先を表示して走っているバスが奇異に感じられたものです(当時は途中の経由地は一切書かれていませんでした)。ちょうど、博多の呉服町あたりを単に「山の神」と表示した国鉄バスが走っていたこととのアナロジーを感じました。

それにしてもその当時の東京のバスは、方向幕の表示は路線番号と終点のみ、路線図は配布もしてなければバス停に掲出もしていない、時刻表の表示はなく始発と終発の時刻とおおよその運転間隔のみ、車内の案内テープは作動していないか作動していても実際とずれていることが多い、運転手はマイクを使わず無言でバスを走らせるだけ、帽子はかぶらない、もちろん冷房車は皆無、というありさまでした。
この時初めて、西鉄バスの洗練されたサービスの先進性を感じたものです。それまで福岡にいた頃は、「西鉄はつまらん」などと友人達と話していたのですが、その後は一切言わなくなりました。
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Unknown (soramame)
2009-09-16 18:03:53
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

福岡では主に「住宅地と都心を結ぶ」のがバスの役割ですが、東京(特に都心部)のバスは「鉄道で行きにくいところをつなぐ」という、福岡とは全く違うコンセプトでパスが走っているので、別の意味で面白いです。

東京にそう頻繁に行くという訳でもないのですが、上京した際にはなるべく時間を作ってバスに乗るようにしています。
個人的には、23区内だと、「上46」「上23」「渋72」「井01」などに惹かれます。
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