★always party★

つまらない日もくだらない日も今日という日は2度と訪れない。だから毎日が特別なパーティーのように楽しく愛しく♪

ジンジャーの弔い

2013-09-10 03:38:34 | Weblog
天高き菊の節句に君は逝く

9月9日、重陽の節句。菊の節句。
愛犬ジンジャーは永眠した。
もうすぐ9歳だった。
短いなぁ。
3月とか4月あたりから嫌な咳をし始めて、予防接種ついでに受診したら、心臓弁膜症と診断された。
薬でコントロールしなければ、ならないのだ、と。
その後、ぜいぜいと発作を起こし、肺水腫を起こし、チアノーゼも起こして伏せの状態で休むのも辛いくらいの息苦しいらしくずっと立って息をしなければいけない状態になった時もあった。二トロン、利尿剤で何とか苦しそうな状態から救えた。
服薬しながら、何とか苦しまない様に、調節しながら、心臓に負担をかけない様に、過ごさせていた。
その後、発作を二回程。
一度は、夜間病院まで行って、点滴やら、酸素室に入ったりした。

そんな状態だから
もう、永く生きさせるよりも
本当に苦しまないように終末期を過ごしてもらう事が優先だったのだ。
私は、チビが2人いるから
結局、終末期の手助けは出来なかった。
うちの両親も、いつ発作が起こるかわからないし、苦しそうになったらジン君も起こしにきたから、熟睡出来ない日々が続いたらしい。
母も、忙しさや、睡眠不足で味覚障害が起きた時もあったらしい。

でも、最期のジン君は茹でた牛肉食べて(食欲が無くなってしまって、それでも贅沢に、湯でた鳥肉を食べなくなっていたらしい)ちゃんと、朝おしっこに行って、その後お昼寝に入って、そのまま永眠したらしい。

父も母もいる時で
いつもの生活の同線上の中での
看取りで
本当によかった。

心臓病からの肺水腫は
死んだおばあちゃんもなった病気で、
その苦しむ様は、本当に可哀想で、わたしも泣きすぎて過呼吸起こすくらい見ていて辛いものだったから、ジン君も苦しんで、死なせるのは本当に可哀想だし避けたかった。うちの親もきっとそうだったと思うんだ。
だから
よかった。

ただそれだけなんだ。

もっと、上手に飼えば病気させる事もなかったろうし、沢山悔やむ事もある。

ごめんよ、ジン君。
そして、ありがとう。

ジン君の通夜。
せがれとむすめを連れて、花を持ってお別れ言いに。
ダンボールで保冷されて納められたジン君。
せがれに死を教えたかったが、全く理解出来ないとこんな反応なんだと、私が教わった。
おもちゃのぬいぐるみと変わらない。
動かないジン君にお布団かけ直してあげて、「と~ん、とん、ねんねねぇ」と言っていた。
そしてダンボールにしまわれて蓋もされている事に違和感はないみたい。
きっと、動き回っていたおもちゃが、動かなくなって、ただのぬいぐるみになった感覚に近いのかなぁ。
あまりのピンとこなさに、涙も乾くのであった。泣いてないけど。

両親は、ペットから解放されて、2人揃って気兼ねなく、外出できるし、夜も安眠出来る。
でも、きっと寂しさがどんどん押し寄せる事だろう。

私が、実家から離れたくなかったのは
おばあちゃんがいたから
ジン君がいたから

そんなレッグチェーンの様なものも外れた。自分で勝手につけたものだけど。自分の安心の為につけてたんだ。

寂しいね。

ジン君の8年の間。

猫二匹の中で迎えたジン君。
私の就職浪人時代を子犬のジン君は明るくしてくれた。

私が結婚して家を出て
あいぼうを連れてきて
あいぼうにすごい勢いで懐いて喜んで
おばあちゃんが死んで
猫のヤヤが死んで
わたしが里帰りしてそこでまた溺愛して
せがれが産まれてなかなか構えなくなって
むすめが産まれてさらに構ってあげられなくなって。

今年猫のナナが死んだ。

出入り激しく、激動の中での生活だったんだ。
溺愛されたり、構われなくなったり
アイドルだったり、アイドルの座を奪われたり。
思えば可哀想だったのかもしれない。

本当ごめんね。

でも、本当に可愛い犬でした。
ヨーキー界のキムタクと言われた君。
ちょいとベロが出る
美男子でした。
ヨークシャテリアの魅力にどっぷり浸かったのは君のおかげでした。

ジン君
もう、おばあちゃんとかと会えているのかしら。
ゆっくりゆっくり休んで下さい。

私は、
あなたの可愛らしさを
寂しさで思い続けるから。





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