中学三年生の社会の時間のことでした。東北地方の農業で、銘柄米について話をしていたときのことです。「知っている銘柄米を一人一つずつあげてごらん。」と投げかけると、「コシヒカリ!」「あきたこまち!」「ゆめぴりか!」と次々と声があがりました。一通りでた後、ふと一つの有名銘柄がでていないことに気付きました。「まだ有名なのが一つ残っているでしょう?」と投げかけましたが、生徒たちは「???」と言った感じでした。「ほら、サで始まるあれだよ。」「???」と言ったやり取りを繰り返しても私の期待している答えが出てきませんでした。
仕方なく、「ササニシキだよ。」と言っても、全員が「???」のままでした。そう、私たちの年代では全員が知っているであろう「ササニシキ」をだれ一人知らなかったのです。ネットで調べてみると<ササニシキはおいしいのは間違いないが、天候の変化に弱く、育てるのが難しい面があるため、生産している量が激減している。>ということでした。ネットでの情報では、平成生まれの人たちは知らない可能性がある、とのことでした。私の目の前にいるのは平成10年代後半の生徒たちですから、知らないのも無理ない話だったのですね。
確かにササニシキの文字を目にする機会はほとんどなく、コシヒカリばかりなのは感じていましたが、ここまでとは思っていませんでした。当たり前と思っていることが当たり前ではなく、常に世の中が変化していることを感じました。
仕方なく、「ササニシキだよ。」と言っても、全員が「???」のままでした。そう、私たちの年代では全員が知っているであろう「ササニシキ」をだれ一人知らなかったのです。ネットで調べてみると<ササニシキはおいしいのは間違いないが、天候の変化に弱く、育てるのが難しい面があるため、生産している量が激減している。>ということでした。ネットでの情報では、平成生まれの人たちは知らない可能性がある、とのことでした。私の目の前にいるのは平成10年代後半の生徒たちですから、知らないのも無理ない話だったのですね。
確かにササニシキの文字を目にする機会はほとんどなく、コシヒカリばかりなのは感じていましたが、ここまでとは思っていませんでした。当たり前と思っていることが当たり前ではなく、常に世の中が変化していることを感じました。