白雲去来

蜷川正大の日々是口実

戦後的欺瞞の<平和論>×<反暴力論>

2023-04-17 13:49:24 | 日記

4月13日(木)晴れ。

朝食は抜いた。昼食は、赤ウインナーを使ったソースチャーハン、豚汁。夜は、キュウリのナムル、もやしと紅ショウガの天ぷら、ピーマンとアスパラのオイスターソース炒め。お供は、頂き物の「伊佐美」久しぶりである。酔狂亭にて独酌。

黄砂に花粉。外に出るのもためらわれる。上の子供が契約してくれたディアゴスティーニの「ブルーノート・ベストジャズコレクション」現在は、第7巻まで届いている。どれもベストプレイヤーの有名な曲を選んでいるので、何度聞いても飽きない。自宅で空気清浄機をつけてジャズを聞きながら遅れている機関誌の編集。

これを書いているのが17日の月曜日。15日には選挙応援中の岸田総理が何者かに手製爆弾のようなもので襲われた。一瞬、安倍元総理の銃撃事件と重なったが、幸いに岸田総理は無事だったと言うこと。パイプ爆弾のようなものを投げつけた青年は、報道によれば逮捕されても完全黙秘を貫いているとか。何が目的かは分からないが、一国の総理を狙ったとしたら、堂々とその目的や思想信条を話せば良いと思うのだが。何も話さなければ単なる爆弾マニアとして処理されてしまうかもしれない。

今月号の弊社の機関誌『燃えよ祖国』のメインは野村秋介先生の「経団連事件から46年ー戦後的欺瞞の<平和論>×<反暴力論>」である。「暴力」の本質に迫った先生の原稿は、46年も前の物だが、現在の世相にも当て嵌まり、とても参考となると思う。※経団連事件にて6年の囹圄を終え、戦線に復帰し、府中刑務所の塀の前を歩く野村先生。


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ああ上海。

2023-04-17 12:58:31 | 日記

4月12日(水)晴れ。

朝食は抜いた。昼食は、レトルトカレー、福神漬け、シジミの味噌汁。夜は、タケノコのから揚げ、ピーマンとジャコ炒め、鶏肉の塩焼き。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

黄砂がひどいらしい。そういえばクルマのボンネットにうっすらと砂のようなものがついている。映像で見ると、ゴビ砂漠に近いモンゴルなどは、文字通りの砂嵐だ。工藤静香の「黄砂に吹かれて」など鼻歌を歌っている場合ではない。その昔のテレビドラマに檀一雄原作の馬賊の伊達順之助をモデルにした『夕日と拳銃』と言うものがあった。その主題歌の4番は「黄緑江と黄河の流れゴビの砂漠に吹く嵐」で始まり、私が中国と中国の歴史に興味を持つきっかけとなった。そして憧れの上海へと渡ったのは、青雲の志を立ててから50年以上も後のことである。

上海の外灘(バンド)は、上海の中心部、黄浦区にある、観光エリアである。黄浦江に西岸を走る中山東一路沿い、全長1.1kmほどの地域を指す。この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多い。児玉誉志夫先生や、東洋のマタハリと言われた川島芳子、「阿片王」の里見甫など錚々たる歴史上の人たちが定宿としていたブロードウェイマンション(現・上海大厦)、戦前の上海を歌ったものには必ずと言って良いほど出てくるガーデン・ブリッジ(外泊渡橋)を見て、歩いた時はとても感激した。その橋を渡れば、かつて日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュウ)がある。また行けるだろうか。※ガーデンブリッジとブロードウェイマンション。

 


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かってあった同名の『月刊・日本』。

2023-04-13 14:18:06 | 日記

4月11日(火)晴れ。

食欲がなく朝食を抜いた。昼食は、ドーナツ2個とコーヒー。夜は、大熊雄次氏やお世話になっている方たちと一緒に、御徒町の「吉池食堂」で一献会。その後、馴染みのお店に行くが、生憎休み。大熊氏が「カツオの美味しい店がある」とのことで「わらやき屋」というお店へ。本当に豪快に藁を燃やしてカツオを焼いている。塩とニンニクで頂いた。高知の「ひろめ市場」を思い出した。九時過ぎに帰宅。お世話になりました。

いつもご恵送頂いていてる雑誌に『月刊日本』がある。南丘喜八郎先生が発行人の保守系の雑誌であるが、その昔、やはり同じ名前の月刊誌があった。『総合誌・月刊日本』と言うもので、政策時報社という所が発行していた。その昭和51年の11月号の特集の中に「戦後ニヒリズムと暴圧=テロ時代の予兆」と題して、野村先生と山本次郎氏が対談を行っている。山本氏は確かペンネームと記憶しているが、一時期、随分と刺激的な論文を発表していた。今、ウイキペディアで検索すると、同名の任侠の方しかヒットしない。『月刊日本』の対談にも詳しい経歴はなく、単に「ネオフォルク同人」という肩書だけで紹介されている。確か、山本氏の著書が事務所の書棚にあったような記憶があるので、今度調べてみる。

その先生との対談は、その後、野村先生が昭和52年3月の「経団連事件」にて、公判を待つ間に出版された『友よ山河を亡ぼすなかれ』の中に収録された。その本は、良く知り合いから、欲しいと言われるのだが、残念ながら私も資料用として2冊を所蔵しているのみで、今では幻の本として、手に入らない。稀にアマゾンなどに出てくると2万円前後と言う値段で取引されている。安倍元総理銃撃事件などもあり、その貴重な対談を私の機関誌に掲載させて頂く。


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今発売中の『文藝春秋』の特集がいい。

2023-04-12 17:48:35 | 日記

4月10日(月)曇り。

食欲がなく朝食は、コーヒーのみ。昼食は、愚妻の作ったカレーに福神漬け入り、インスタントのシジミの味噌汁。夜は、タケノコのから揚げ、ししととうとジャコの炒め物、カツオの刺身。お供は「黒霧島」。

現在発売中の『月刊・文藝春秋』(5月特別号)がとてもいい。特集は「私の人生を決めた本」。「読書家81人による史上最強のブックガイド」とある。この歳になると、今更「ブックガイド」などいらないが、学者、俳優、芸人、作家、など様々で、マラソンランナーの有森裕子さんなども書いていおり、それぞれの方たちの人生や性格を垣間見るようで楽しい。かつて私も編集を手掛けていた『大吼』や私の機関誌『燃えよ祖国』で、似たような特集を行ったことがある。

その他「岸田文雄×岡藤正広×中野信子の『脳波鼎談』-日本復活の道」も地方選の最中に読んだので興味深かった。「三浦瑠璃ー独占告白120分ー夫の逮捕で考えたこと」は、『週刊文春』かい。と思わずニヤリとしてしまった。

これまで、読書は数だけはこなしてきたと自負している。読書する体力をつけようと、「一人一殺」ならぬ「一日一冊」をノルマとして、三年余の乱読の生活を続けたこともある。「私の人生を決めた一冊」は、民族派運動に入ったばかりの二十歳の時に読んだ、元慶応義塾の塾長の小泉信三が書いた『読書論』(岩波新書)である。その「読書論」の中で、当時私が最も感動したのが江戸中期の蘭医の杉田玄白等が有名な「解体新書」を翻訳した時のエピソードである。それは「読書論」の「第三章・語学力」の中に書かれたもので、この一文に触れたことによって「格闘して学ぶ」、「いかに本を読むか」という読書に対する姿勢というものを学んだ。しかしながら、最近は「読みやすい」本ばかり選んで読んでいる。しかし、「楽しみ」が、「たしなみ」に変わるかもしれん。


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搭乗されていた方々の安否は。

2023-04-12 17:12:15 | 日記

4月9日(日)晴れ。

午前中に、地方選挙の投票を済ませて、志村馨君と合流して茨城へ。國民協議会・政進会(小山秀雄議長)結成30周年のお祝いがあり出席。大勢の諸先生、諸先輩、同志の皆さんが集い、30周年をお祝いする。4時に閉会。約二時間で横浜着。

201年に公開されたのが映画『ブラックホーク・テダウン』。実際にソマリアでおこった凄絶な「モガディシュの戦闘」(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦)を描いている。原作は、マーク・ボウデンと言う人の小説『ブラックホーク・ダウン 、アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録』。そうか、公開からもう22年が過ぎたか。確か、横浜の本牧の映画館で、志村馨君と一緒に見た記憶がある。

映画の話はどうでも良いのだが、宮古島付近で10人の自衛隊員が乗ったヘリコプターが消息を絶ったが、未だにヘリコプターの発見には至らない。当然、乗組員の安否も不明である。そのヘリコプター「UH60JA」は、米軍の「ブラックホーク」の改良型とか。専門家の話では、救難を知らせる「メーデー」を発信する暇もなく墜落したと思われ、恐らく羽を回すローターの不具合ではないかと。また「撃墜」はあり得ないとのこと。もし撃墜されたならば機体の破片があり、誰かが「爆発音」などを聞いている可能性が大。と言っていた。搭乗していた方々の生存を祈るばかりである。

 


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