4月8日(土)曇り。
朝食は、ドーナツ2個とコーヒー。昼は、「オアジ」にてランチ。夜は、豚肉のしゃぶしゃぶ、ラーメン入り、レタスサラダ。お供は「黒霧島」。
久しぶりに、某出版社の編集長氏と記者さん、それにA新聞の辣腕女性記者さんと「オアジ」にてランチ。野村先生の没後30年、赤報隊事件から30年と言うことで、。思い出話に終始した。珍しく、ビール一本飲んで2時間ほどで解散。
昨日は、昭和20年に戦艦大和が沖縄特攻の「天一号作戦」にて出撃し、米軍の航空機による攻撃で沈められた鎮魂の日。『真相・戦艦大和ノ最期』(原勝洋著、ベストセラーズ出版)によると、米側の記録を調査した結果、坊の岬沖海戦での米攻撃隊の損害は被撃墜五機、原因不明の墜落一機(進撃途中で落下し海面に激突した)、海上に不時着水一機、被弾損傷五十二機(内、五機が修理不能と判断され海上投棄)、戦死十四名、負傷四名となっている。「大和」の最終改装時には百五十以上の対空機銃や二十四門の高角砲で武装され、軽巡矢矧以下の駆逐艦の対空機銃が一斉に米軍機に向かって撃っても、米軍機の犠牲は十機程度だった。いかに日本の対空機銃の性能が悪かったかが分かる。
因みに大和の乗組員、3千3百32名の内、戦死者は3千56名。他の艦も合計して4千37人がこの日に犠牲となった。これは陸海軍の飛行機による特攻隊の死者数4千6百15人に近い。大和を中心とした第二艦隊の司令長官は伊藤整一中将。伊藤中将は最後までこの作戦に反対していたという。合掌。