白雲去来

蜷川正大の日々是口実

断捨離というほどでもないが、片づけをした。

2011-05-23 17:28:56 | インポート

五月二十一日(土)晴れ。

 朝から良い天気である。衣替えを兼ねて納戸の片づけを行った。貧乏性なので、物を捨てられない。それが災いして納戸は足の踏み場もない。まず二人の子供が小さかった頃の玩具や人形、ぬいぐるみなどを、子供の許可を得てゴミ袋に入れた。その数が半端ではなく、五袋もあった。その他、小さくなった洋服や幼稚園、小学校の頃の教科書など、ワンボックスカーで一回では運びきれないほどあった。

 書店で平積みになっている本の中に、家の片づけをする方法として「断捨離」(だんしゃり)というものがあることを知った。断捨離(だんしゃり)とは、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサルタントやましたひでこ氏の提唱する生活術である。
 その語源は、ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。

 断=入ってくる要らない物を断つ
 捨=家にずっとある要らない物を捨てる
 離=物への執着から離れる

 しかし、私は、そういった心境には至らない。それは、「物」にも魂があると信じているからである。古くなった子供の玩具を捨てるときでも、今まで楽しませてもらったことに感謝し、手を合わせてから捨てることにしている。家具なども使っている時は、家族の一員だと思っている。先日も、社友の古谷喜久男氏が、十五年以上乗っていた車を廃車にするときに、家族がその車との別れを惜しんで涙ぐんでいた。と話していた。私も、その気持ちが良く分かる。

 平成二年に、戦線に復帰した折に、亡くなった板垣哲雄君の紹介の電気屋で買ったテレビを、チデジに移行するので、新しいものに替えた。このテレビは、当りで、買ってから二十年以上も経っているのに画像も音も良く、買い換えるのが惜しかった。新しいテレビが来て、古いテレビが引き取られるときに、子供達は悲しそうな顔をしていたのが、印象的だった。

 家も狭いので、片づけをせずにはいられないが、これからも感謝しつつ整理しようと思っている。

 夜は、野村先生の一門会が、門前仲町の「日本再生酒場」にて行なわれ出席。気の置けない人たちとの酒席は楽しい。終了後は、お店の近くの、まるで昭和にタイムスリップしたような路地にある寿司屋で打ち上げ。松本佳展君に送って頂き帰宅。

 

コメント (1)
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ふふふ少し痩せたぞ。

2011-05-23 16:39:39 | インポート

五月二十日(金)晴れ。

 午前中に横浜市大病院に行った。自宅近くの医者での検査の結果が思わしくなく、市大病院を紹介されたわけだが、ここで、担当医との問診の後に、心電図や採血などを行なった。早い話が、教育入院を二週間ほどすすめられた。しかし、暇なジジイじゃあるまいし、二週間を病院で過ごすわけには行かない。そのために、日々努力をしているので、六月には、もっとハードなスケジュールで、体調管理を行なうつもり。もしそれでだめだったら入院することにする。

 市大病院を出て、歯医者のある、みなとみみらいまで歩いて行った。約四十分ほどで到着。治療の後に、また自宅まで歩いた。そうそう、病院で体重を量ったら四・五キロ減。毎日のウォーキングの効果が出てきたわけだ。もう一踏ん張りだ。

 弊社の古い社友で、「カレーの福井」で知る人ぞ知る福井英史さんは、ボクシングの元ライトフライ級の選手だった。現在は、トレーナーをする傍らで宅配専門のカレー屋を営んでいる。また元ボクサーの死刑囚、袴田巌さんの支援を行なったり、先日は、東北地方を襲った震災復興のボランティア活動にも行って来たと手紙を頂いた。

 その福井さんが、ボクシングの専門誌「ボクシング・マガジン」の「リングサイド・ストーリー」というコーナーで紹介されている。カレー好きの人は、おためしあれ。

Img594

Img595 ※福井さんの紹介記事です。クリックすると拡大します。

 


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尾崎放哉を読んでいます。

2011-05-20 21:12:10 | インポート

五月十九日(木)晴れ。

 本来ならば、第三木曜日は福島から下山する盟友と一緒に、お世話になっている方にご挨拶し、浄財を頂き、意気揚々自宅に戻るのだが、そのお方が第一線から引退し、従って、第三木曜日の楽しみがなくなってしまった。以前、その方から聞いたのだが、「蜷川君。君たちみたいな浪人は、余り長生きすると大変だよ。だって、君たちを応援してくれる人というのは、ほとんどが私のように年上の人だろう。そういった人たちは、当然、君たちより先に引退する。その後の人、つまり二代目、三代目の社長たちは、中々君たちとは付き合わんよ。だんだん支援してくれる人が少なくなって行くのだから、これからは大変だよ」

 まったくその通りで、私の周りでも倒産したり、経営が苦しいなどと言って、購読を断られたりするケースが増えている。がんばらなくては・・・。

 朝食後から歩いた。毎日、なるべく一時間以上歩こうと努力している。正直言って、毎日同じ場所ばかり歩いていると飽きるので、コースを変えて歩くことにしている。今日などは、一時間半、行けるところまで歩いて、帰りはバスで帰ってきた。こうすると飽きない。また疲れてよく眠れる。当分続けて体の改造に取り組まなければ。

 途中の書店で、吉村昭の「海も暮れきる」(講談社文庫)を買った。以前書評で、吉村昭の戦記文学全集を見た様な気がしたので、書店で聞いてみたら、それは吉村昭ではなく城山三郎だった。早速全六巻を注文した。

 「海も暮れきる」は、自由律句の俳人、尾崎放哉が晩年に小豆島で過ごしたことを書いたものだ。東京帝大を卒業し、一流の会社に就職したが、その職も妻とも別れて、放浪を続ける。極端な酒乱に肺病持ち。そんな放哉を俳句の同人らが支援する。破天荒な生き様と俳句。

 正直言って自由律の俳句は難しい。山頭火や荻原井泉水の句も読んだが、失礼ながら、句よりも、その生き様の方に興味を引かれる。今回の本を読んでいて頭に浮かんだのが長野に住む閑人社の新藤厚のことだ。彼も、様々な葛藤と戦いながら日々酒を飲み、自らを傷つけて荒んで行く。俳人ではないが、そのうちに廃人にならないか心配である。まあ私も人のことを心配している余裕などないが・・・。

 珍しく、十時前に寝てしまった。


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「週刊A」の記者氏と飲んだ。

2011-05-20 20:31:52 | インポート

五月十八日(水)晴れ。

午後から東京行き。田町の某会館にて大行社の幹部会議が開催され出席。相談役として挨拶を述べさせて頂いた。全国から参集する大行社の同志の皆さんの熱い議論には、いつも勉強をさせられる。四時近くまで。その後、帰宅。

 夜は、「週刊A」の辣腕記者さんと待ち合わせて、関内の「写楽」へ。途中から社友の古谷喜久男氏が合流。原発問題、民主党政権、そして今回の震災についての話などしながら二時間ほど。その後、三人でサリーの店へ。

 お客さんも少なかったので、サリーと古谷氏と共に野毛に転戦。まずは都橋という所にある「ひろみ」ママの経営するお店へ。ひろみママといっても女性ではなく、おとこの人である。ここに三十分程いてから我々の共通の友人の経営するお店へ。店の名前は忘れたが、まあ盛り上がって二時近くまで。ここで解散。

 飲んではいけないのに、つい調子に乗って二時まで飲んでしまった。猛省。


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平塚に開店した「花笠茶屋・おきなや」は最高だった。

2011-05-19 17:49:45 | インポート

五月十七日(火)曇りのち雨。

 朝食後に、ウォーキングに出た。コースは、事務所まで行き、郵便物の確認などしてから、再び歩いて、自宅に戻った。事務所といえば、固定の電話をすべて解約した。これまでは、固定電話が二台にファックスなど、なんだかんだで六回線ぐらい使用していた。不在のときは、専用の携帯に転送になるようにしてある。事務所にいないことの方が多いので、電話などほとんどかかってこない。しかし基本料金やパソコン、ファクスなどの回線使用料金が、半端ではないので解約したのである。

 それでもまだ携帯電話が五台、パソコンの回線、ケーブルテレビの使用料金など、出て行く金額は大きいが、これは必要経費で仕方がない。先の大戦で言えば、サイパンなどのマリアナ諸島の絶対国防圏が陥落し、いまや敵は沖縄、硫黄島にまで迫る勢いという感じである。もうこれ以上の撤退は許されない。何とか本土決戦に持ち込む前に、援軍(と言っても収入だが)の到着を待たなければならない。

 新しい事務所の電話番号は、090-6300-7075です。ご面倒でもお手元の電話番号簿をお書き直し下さい。

 夜は、古い友人の尼野保君が、伊勢佐木町の近くにあった炉端焼きのお店を閉めて、新しく平塚にオープンした「花笠茶屋・おきなや」へ、わが蜷川政経懇の皆さんとお祝いの食事会に出かけた。電車組はJRの平塚駅南口で待ち合わせ。車組は当然直行。

 駅で、小椋さんご夫妻と合流。タイミング悪く、義一兄ぃとはすれ違い。駅のタクシーに「おきなや」と言ったらすぐに分かった。五分もかからずに到着。車を降りたら、まずお店の造りにおおっと声を上げた。百年以上も前の古民家を改装した凝った造りで、そのまま博物館になりそうな感じである。入り口には明治の文芸評論家として有名な高山樗牛の顕彰碑があった。資料では平塚にあった杏雲堂病院にて死去とあるので、この「おきなや」が、その病院跡かもしれないが、聞きそびれた。

 料理は、コラーゲンたっぷりの「鶏鍋」は最高だった。気の置けない仲間たちと、美味い料理に美味い酒を堪能した。九時に友人に送って頂き帰宅。

Dscf3125 ※「おきなや」の看板。

Dscf3126 ※高山樗牛の顕彰碑。


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