白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ため息交じりの一日だった。

2011-05-11 17:50:31 | インポート

五月九日(月)晴れ。

 まるで夏の盛りのような暑い一日だった。朝食後は、愚妻と共に社会保険事務所に行った。還暦となって、年金の受給対象となったという通知が来たので、オオッと期待を持って出かけた。年金と言ってもほとんどが国民年金で、厚生年金に入っていた時期は四年ほどしかない。野村先生がご存命の折に勤めていた二十一世紀書院で給料を貰っていた頃だけ。

 後はほとんど国民年金。こう見えても、支払いの通知が来れば、年金も市県民税も払ってきた。まあ最低の国民の義務は果してきたわけだ。受付で二時間も待たされて、ようやく自分の番が来た。数字にはからきし弱いので、愚妻に付き添ってもらい説明を聞いた。何と、受給額は年間三十万円。月に直せば、わずか二万五千円でしかない。五年後、すなわち私が六十五歳になると幾らかアップして貰えるらしい。

 それでも四十年も掛けた結果が二万五千円とは、ガッカリした。生活保護を受けている人の方が何倍も給付されるのならば、今後は、国民年金などはいる人はいなくなるに違いあるまい。

 今まで、国民から集めた年金を使って放埓な経営をしていた年金の役人の責任は一切問われずに、そのツケだけが国民に押し付けられる。今回の原発事故もそうだ。なぜ東電は全国にある保養施設を避難民に開放しないのか不思議でならない。鎌倉にある保養所など一山を使ったホテル以上の建物だ。そんなものはさっさと売却して保証金に当てるべきだ。電気料金の値上げなど言語道断ではないのか。

 愚妻と、帰路につき、あーあ疲れたとため息しかりの一日だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする