
九月二日(金)晴れ。
午前中に、子供がお腹が痛いと言うので内科に連れて行く。そのまま私は事務所へ。宮嶋茂樹さんが撮った野村先生の写真のポジの整理。人を頼っても仕方がないので、少しずつ手を付けて行くつもり。
過日新聞広告に載っていた辻政信の『潜行三千里』を購入した。実は、戦後に出版されベストセラーになった物を随分前に古書店で購入して読んだことがあった。しかし、何せ40年以上も前のことなので、内容の記憶に乏しい。そこで新装となった同じ本を買ってみた。すると山平重樹さんから以前紹介され、一献酌み交わしたことのある、国際政治学者の福井雄三先生が「本書に寄せて」という前書きを書いているではないか。余計にこの本に対する親しみがわいてきて、現在楽しみながら読んでいる。良い本と人との出会いは良く似ている。
「戦後日本の社会で賛否両論含めて、この人ほどさまざまな評価にさらされた人物は珍しいであろう。「作戦の神様、軍事の天才、大東亜戦争の英雄」といった肯定論から、「愚劣、無責任、大ほら吹きのペテン師、おぞけをふるう巨悪」といった否定論に至るまで、彼には常に多くの毀誉褒貶がつきまとってきた。後者の否定派の先頭に立つのは言わずと知れた、司馬遼太郎・五味川純平・半藤一利といった、いわゆる「司馬史観」なるものに拠って立つ面々である。世上に流布している「司馬史観」にはさまざ まの問題点が内包されている。その中の最大のものは、ノモンハン事件という日本近現代史上の大事件に関する、歴史的解釈の誤りであろう。だが最近の歴史研究と史料公開により、従来の通説とは異なって、ノモンハン事件は日本軍の大勝利であったことが次第に明らかになりつつある。最近出した拙著『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』及び『司馬遼太郎と東京裁判』でも、この点を繰り返し強調した。」(「本書に寄せて」より抜粋)
私が所蔵している辻政信の「断じて行えば鬼神も之を避ける」の書。「鬼神」とは荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、断固たる決意をもって行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよけるという意味。秦の始皇帝の死後、趙高が陰謀を画策し、太子胡亥をそそのかし、公子扶蘇を殺して帝位に就くことを強要したときの言葉。『史記・李斯伝』に「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」とあるのに基づく。
夜は、酔狂亭で月下独酌。最近、何処へ行ってもロクなカツオに巡り会わない。連敗が続いている。嗚呼!
午前中に、子供がお腹が痛いと言うので内科に連れて行く。そのまま私は事務所へ。宮嶋茂樹さんが撮った野村先生の写真のポジの整理。人を頼っても仕方がないので、少しずつ手を付けて行くつもり。
過日新聞広告に載っていた辻政信の『潜行三千里』を購入した。実は、戦後に出版されベストセラーになった物を随分前に古書店で購入して読んだことがあった。しかし、何せ40年以上も前のことなので、内容の記憶に乏しい。そこで新装となった同じ本を買ってみた。すると山平重樹さんから以前紹介され、一献酌み交わしたことのある、国際政治学者の福井雄三先生が「本書に寄せて」という前書きを書いているではないか。余計にこの本に対する親しみがわいてきて、現在楽しみながら読んでいる。良い本と人との出会いは良く似ている。
「戦後日本の社会で賛否両論含めて、この人ほどさまざまな評価にさらされた人物は珍しいであろう。「作戦の神様、軍事の天才、大東亜戦争の英雄」といった肯定論から、「愚劣、無責任、大ほら吹きのペテン師、おぞけをふるう巨悪」といった否定論に至るまで、彼には常に多くの毀誉褒貶がつきまとってきた。後者の否定派の先頭に立つのは言わずと知れた、司馬遼太郎・五味川純平・半藤一利といった、いわゆる「司馬史観」なるものに拠って立つ面々である。世上に流布している「司馬史観」にはさまざ まの問題点が内包されている。その中の最大のものは、ノモンハン事件という日本近現代史上の大事件に関する、歴史的解釈の誤りであろう。だが最近の歴史研究と史料公開により、従来の通説とは異なって、ノモンハン事件は日本軍の大勝利であったことが次第に明らかになりつつある。最近出した拙著『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』及び『司馬遼太郎と東京裁判』でも、この点を繰り返し強調した。」(「本書に寄せて」より抜粋)
私が所蔵している辻政信の「断じて行えば鬼神も之を避ける」の書。「鬼神」とは荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、断固たる決意をもって行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよけるという意味。秦の始皇帝の死後、趙高が陰謀を画策し、太子胡亥をそそのかし、公子扶蘇を殺して帝位に就くことを強要したときの言葉。『史記・李斯伝』に「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」とあるのに基づく。
夜は、酔狂亭で月下独酌。最近、何処へ行ってもロクなカツオに巡り会わない。連敗が続いている。嗚呼!