五月三十日(水)曇り。
かかりつけの医者から、血液検査の結果、ナントカ、ナントカが、この一年で、平均、7・7から落ちないので、市大病院の紹介状を書くから、「糖尿病」の専門の医者に診て貰いなさい。と言われた。トホホである。私の母も糖尿病だったので、気をつけてはいたのだが。
随分前のこと。愚妻と子供とで天草を訪ねた折に、盟友の大野康孝さんの案内で名所旧跡を案内して頂いた。夜、一献酌み交わしている時に、愚妻に向かって「奥さん。糖尿は怖いですぞ、あそこまで痩せてくるんです」と。女房、子供の前で、くだらん下ネタを披露したから、「貴方は、大東亜戦争の研究ばかりしているから、病気になる。だから、とうにょうひげき、だ」、「日露戦争の研究は、糖尿屁はちろうだ」といったら、「貴様許さん」と言って、プイと帰ってしまった。
翌朝、何ともないような声で、「何時に迎えに行けばいい」と電話があったので安心した。その大野さんも亡くなられてしまった。大野さんの思い出は尽きない。何とか努力して、数値を下げなければ。
かかりつけの医者から、血液検査の結果、ナントカ、ナントカが、この一年で、平均、7・7から落ちないので、市大病院の紹介状を書くから、「糖尿病」の専門の医者に診て貰いなさい。と言われた。トホホである。私の母も糖尿病だったので、気をつけてはいたのだが。
随分前のこと。愚妻と子供とで天草を訪ねた折に、盟友の大野康孝さんの案内で名所旧跡を案内して頂いた。夜、一献酌み交わしている時に、愚妻に向かって「奥さん。糖尿は怖いですぞ、あそこまで痩せてくるんです」と。女房、子供の前で、くだらん下ネタを披露したから、「貴方は、大東亜戦争の研究ばかりしているから、病気になる。だから、とうにょうひげき、だ」、「日露戦争の研究は、糖尿屁はちろうだ」といったら、「貴様許さん」と言って、プイと帰ってしまった。
翌朝、何ともないような声で、「何時に迎えに行けばいい」と電話があったので安心した。その大野さんも亡くなられてしまった。大野さんの思い出は尽きない。何とか努力して、数値を下げなければ。