白雲去来

蜷川正大の日々是口実

市大病院にて検査。

2018-06-22 12:31:32 | 日記
六月十八日(月)雨。

朝から、横浜の市立大学病院で検査があるので、「朝食は食べないで来て下さい」と言われた。九時半着。検査は、心電図検査(四股単極誘導及び胸部誘導を含む最低12誘導)良く分からん。超音波検査(心臓超音波検査・経胸壁心エコー法)。血管伸展性検査。胸部XーP(デジタル撮影)電子画像管理加算(単純撮影)、〔胸腹部〕CT撮影(16列以上64列未満のマルチスライス型の機器による場合)。電子画像管理加算(コンピューター断層診断)。

昔の体操のラジオ中継のようで、何が何だか全く分からん。病院で売っていた弁当で昼食。すべて終わったのが四時近かった。お陰様で、宝田明の『銀幕に愛をこめて』を読了した。ぐったり。

夜は、月に一度の、名前だけ真面目な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。その後、有志にて関内へ転戦。

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マーライオンは、がっかりす。

2018-06-22 11:46:56 | 日記
六月十七日(日)曇り。

早めに寝たせいもあって、すっきりと起きた。朝食は、函館の「めんたいサンマ」、目玉焼き、わかめスープ。昼は抜いた。夜は、牛丼、ナスとひき肉の「献立いろいろ味噌」炒め、レタスのナムル。明日、病院で検査なので、今日は酒を抜いた。

期待外れの米朝会談。誰が主導したのか、それは上方落語界の名跡で、三代目は人間国宝となった桂米朝ではないだろうか。トランプと北の首領様の前で一席やれば、これが本当の米朝会談だ。

そう言えば、米朝会談の行われたシンガポールの名物と言えば、上半身がライオンで、下半身が魚の「マーライオン」。私は、直接見たことはないが、このマーライオンは、「世界三大がっかり名所」の一つに入っているそうだ。他の二つは、ブリュッセルの「小便小僧」、コペンハーゲンの「人魚像」であると、読売新聞の「編集手帳」に書いてあった。

ちなみに、我が国の、三大がっかり名所は、札幌の時計台、高知の「はりまや橋」、沖縄の「守礼の門」ということになっているらしい。この我が国の「三大がっかり」の場所は皆行ったことがある。守礼の門は、後ろにある首里城が再建されてから、さほどがっかりする場所ではなくなったように思う。そこにいる、民族衣装を着たモデルの女の子、驚いたことに、十年前くらいに行った時の写真にも、その後に行った時の写真にも同じ子が写っていた。まだ現役なのだろうか。

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五月雨をあつめて早し、か。

2018-06-22 11:07:22 | 日記
六月十六日(土)曇り。

一週間ぶりに家族が揃っての朝食。白菜ときくらげのあんかけ炒め、冷食の「王将の餃子」、あさりの味噌汁。昼は抜いた。夜は、田原町にある蕎麦屋の「甲州屋」にて群青忌の会議の打ち上げ。

今時の雨の日を、五月の雨と書いて「さみだれ」と読む。何で五月ではないのかと言えば、五月雨の「五月」は旧暦で、新暦に直すと、六月、七月の梅雨の時期となるそうだ。この五月雨で有名なのは、芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」の句だろう。芭蕉は、日本三急流の一つである最上川を乗船し、その体験から「早し」と詠んだと言われている。

私は、芭蕉のこの句を読むと、決まって李白の「早(つと)に白帝城を発す」の詩が必ず浮かぶ。

朝(あした)に辞す白帝彩雲の間=朝早く、朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて、
千里の江陵一日にして還(かえ)る=千里先の江陵まで、一日で行く。
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに=両岸の猿の声が、絶え間なく続くうちに、
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山=(私の乗った)小舟は、いくえにも重なる山々を過ぎていった。
※訳(楽しいことわざ教室)より拝借。白帝城は、「三国志」の英雄、劉備の没した城として知られている。いつか行ってみたいところの一つである。

三峡下りの李白と、最上川を下った芭蕉・・・。私の勝手な思いが重なる。午後から群青忌のスタッフ会議のために東京行き。終了後は、馴染みの「甲州屋」にて一献。

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