白雲去来

蜷川正大の日々是口実

書のある散歩道

2018-03-08 11:30:43 | 日記
三月六日(火)曇り。

産経新聞の横浜版に、月に何度か「書のある散歩道~かながわ~」というコラムが掲載される。これを読むのが楽しみである。神奈川県の名所旧跡にある碑の碑文を分かりやすく解説したものである。正直言って、そういった碑文は、私など無教養な者には何が書いてあるのか、さっぱり分からない。日本人として恥ずかしい次第なのだが、戦後教育の中で、論語や漢詩、漢文といった物をほとんど教えられなかったので、ある意味仕方がない。その難しい碑文の意味や選者、さらにそれを刻んだ「刻者」まで解説してくれる。

今日の、「書のある散歩道」に取り上げられたのは、鶴見区のキリンビール横浜工場の近くにあるのが「生麦事件の碑」である。幕末の動乱期に起こった外国人殺傷事件は、賠償問題から薩英戦争にまで発展。その後の日本外交に大きな影響を与えた。明治十六年、鶴見の黒川荘三がリチャードソンの死を悼み、事件の風化を防ぐために私費を投じ、生麦事件碑を建立した。

「碑には「舊蹟」(きゅうせき)と題字があり、中村正直(一八三二~一八九一)が撰文した。碑文に書者の名はないが恐らく選者であろう。顔真卿風の書である。刻者は、飯島吉六。江戸時代から代々続く鶴見の石工だったようで、横浜近郊の神社のこま犬の多くにそのながあるという」「書のある散歩道」)

中村正直(敬宇)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。号は敬宇。実は、私は、以前古書展にて、中村の書を購入したことがある。不勉強で何が書いてあるか分からないが、福沢諭吉らと明治六年に結成された当代一流の洋学者たちによるわが国最初の学術結社である「明六社」を担ったことを、知っていたので購入したのである。随分安かったと記憶している。久しぶりに中村正直の書を掛けて、菅茶山の「冬夜書を読む」ではないが、「閑(しず)かに乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思えば、一穂の青燈万古心」とするか。

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