幸せの深呼吸

幸せは自分の中にある。
幸せは自分が決める。

1300年に2人だけ!千日回峰行を満行した方が得た学びとは?

2015-07-28 | こころに響く言葉

1300年に2人だけ!千日回峰行を満行した塩沼亮潤大阿闍梨が得た学びとは?

塩沼亮潤さんインタビュー【第1回】

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44343

そのときに自分の過去の人生が映画のように頭に流れてきたんです。いろんな人にお世話になってきたなあ、と。その映像の最後に出てきたのが、出家のときに母が私にかけた「砂をかむような思いをして修行をしてきなさい」という言葉でした。そこで倒れたまま地面の砂を口に含んでみたところ、ものすごい違和感があって「こんなところで倒れてはいられない」という猛烈な情熱が湧いてきたんです。そして、起き上がって山に向かって走り出しました。走れるわけがないのに、山頂を目指して走っている自分がいる。不思議な体験でしたね。

人間というのは、極限状態を超えると生きる力が湧いてくるんだと実感しました。

塩沼: 無理に追い込まなくても、生きていたら誰にでも人生の試練はあると思います。大事なのは、そこから逃げないこと。その修羅場みたいなものを体験して、痛みを自分で感じないと成長しません。成長には必ず痛みが伴うものです。私も修行を体験したからこそ、今の自分があります。山に入らなくても、日常において、あるがままに自分の周りで起きるさまざまな試練を乗り越えていかないと、人間は成長しないと思うのです。

塩沼: それはやはり慈しみの心ではないでしょうか。仏教の神髄は慈しみの愛。愛という字は「受」けるという字に「心」を挟みます。相手と向き合う心がなければなりません。どんな人でも嫌わず向き合う心です。でも99%むずかしいときでも1%は嫌わないでいることです。けっして相手をうらんだり憎んだりしてはいけません。

慎: それこそ修行を重ねて、日々培っていくものなんですね。

 

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44344

慎泰俊さんがプロフェッショナルたちの仕事の流儀に迫る本連載、今回は慈眼寺住職の塩沼亮潤大阿闍梨の登場です。往復48キロの山道を1000日間歩き続ける修行「大峰千日回峰行」を満行した塩沼亮潤さん。修行を通じて、自己を顧みる心と感謝の念を得たと言います。現在は、大阿闍梨として全国各地、世界中を飛び回って教えを説きながら、仙台に開山した慈眼寺の住職を務めています。 第2回は、修行を終えて慈眼寺を開山してから、日々の習慣や情熱の源泉についてお話を聞きました

塩沼: あまり口に出していいたくないのですが、いまは聞かれたので本当のことを言います。「世の中がよくなるために、社会がよくなるために、みなさまのお役に立ちたい」ということが原点でした。しかし師匠がある日教えてくれました。「お坊さんはあまり世の為人の為とは言わないほうがいい。人の為と書いて偽りというだろう」と教えていただいたので、あまり口にしませんが、みなさんが喜ぶことが自分の喜びでもありますので、そこが原動力です。

塩沼: 自分のためだけであったら途中でいやになってしまっていたと思いますね。大阿闍梨になりたい、という思いだけではむなしいですよ。千日回峰行を達成することが目的ではないですから。私には千日回峰行もあくまで人生の通過点であって、世界中の人たちの心を癒すようなお坊さんになりたいという大きな夢があります。

私が今心身ともに充実していて、なぜ揺るぎない自信があるか。命がけで挑戦した経験がある、というのもあるかもしれませんが、今を情熱を持って生きているからだと思います。外的条件が厳しいところでなくても、日々情熱は心に灯しています。「みんなのため」という気持ちを根っこに、どんどん挑戦していきたいですね。

ただ講演などで話すときは意識して面白いことを言う場合もあります。というのも、人間の脳は感動したことも1年もすると忘れてしまうけれど、笑った記憶は残るそうなんです。笑いはコミュニケーションの潤滑油のようなものですね。

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医療信仰~私たち自らが、病を癒す能力があることをすっかり忘れてしまった

2015-07-28 | 医療、健康

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=306357

  医療信仰~私たち自らが、病を癒す能力があることをすっかり忘れてしまった
 
  15/07/26 PM10 
脱病院化社会へ~イヴァン・イリッチ
リンク より

「余計なお世話だ!」

この5000年の医学史をふりかえれば、医学の無力さばかりが目につきます。
いまだに糖尿病、がん、リウマチ、ネフローゼはおろか、ニキビ一つ満足に治せないのです。
いわんや、ハッチンソン氏病、天疱瘡、多発性硬化症、色素性乾皮症、脊髄小脳変性症ともなると手も足もでないという状態です。ヒトの寿命がのびたのは、医学の発達というより、一般大衆の衛生状態の改善によることのほうが大きいのです。
35年以上昔、1976年に書かれているにもかかわらず、迷走する現代の医療を見事に批判する、今、最も読まれるべき名著『脱病院化社会』の著者、イヴァン・イリッチは次のように書いています。

(中略)

普通、私たちは、どんなに現代医学が無力であっても、少なくとも抗生物質、ワクチンの発見で結核、ポリオをはじめ、多くの伝染病が克服されたと考えています。 しかし、イリッチはそれすら否定します。こういった伝染病が少なくなったのは、医学のせいではなく、下水道の管理、石けんの普及、栄養状態の向上といったものに起因するであるというのです。
そして、現代医療は無力であるばかりでなく、医原病(イアトロジェニック)さえ蔓延させていると喝破するのです。

「過去一五年間における新しい疾患という重荷の大部分は、病める人々、あるいは病む可能性のある人々のために医療が介入したことの結果であるとも言え、その割合は次第に高くなっている。それは医師がつくるもの、すなわちイアトロジェニックなのである。

医学のユートピアを追求して一世紀たつが、現在の一般的知恵に反して、医療サービスは、実際にみられる余命に変化を与えるほどの役割も果たしていなっかた。現代の臨床ケアの大部分は、疾患の治癒にとって偶然のものにすぎず、医療によって個人および集団に及ぼされる障害は重大である。こうした事実は明らかであり、実証されているが、おしかくされているのである」

私がこの本と出会ったのは、およそ35年前、医者になってすぐの頃です。当時はまだ現代医療の成果を信じていたころです。

しかし、最近、イリッチのいいたいことが、身に染みて理解できてくるのです。私たち医者(特に内科医)がやっていることは、ほとんど患者のためになっていないどころか、むしろ患者の状態を悪化させているのではなかろうか、という疑問です。
簡単な例をあげると、医者は、患者が風邪をひいて熱があるということで安易に解熱剤を投与します。しかし、発熱はウイルスや細菌に対する生体の一種の防御反応で、熱性の痙攣をおこすほどの状態でなければ、むしろそのまま放置しておいたほうがいいのです。その方が、治りは早いのです。

つまり、これだけ単純な例でも、医者は患者をたすけているのではなく、むしろ治癒を遅らしているわけです。
ましてや、高血圧、糖尿病、リウマチ、脳梗塞、心筋梗塞といったもっと複雑な病気においては、どれだけ医者は、余計なことをしているか見当がつきません。そして、その極めつきの余計な介入が、2008年から始まった「メタボ検診」です。

国家が半強制的に、国民に健康診断を受けろというのです。そして、僭越にも、あなたの治療はかくあるべしと、紋切り型の治療法を指導するのです。
医療におけるファシズムです。その官僚性と傲慢は、行政という非人格的曖昧さで糖衣されており、国民が健康への自立性を奪われ、さらに健康を劣化させる道へと歩まされることに気づけないように仕向けられているのです。
医療が、国家資格を与えられた専門家に独占され、人は自分の健康を国家にあずけるのが当然だと考えるようになってしまったのです。
しかも、驚くべきことには、その強要に対して、「余計なお世話だ!」という反撥の声がほとんど聞こえないのです。

自分の体を、イリッチがいうところの『官僚性と幻想とを伴った巨大な医療組織』に、預けてしまうことにさえ、何の恐れも不信感も抱かないように、私たちは飼いならされてしまったのです。

(中略)

それなのに、なぜ人々は病院に行くのでしょうか? 環境汚染による病気自体の増加? 高齢化に由来する生活習慣病の増加? 医師不足? 資本主義経済のもとにおける利潤追求型医療による扇動? 大手製薬会社の医学界操作?

いずれも、もっともらしいのですが、問題の本質は違ったところにあるのです。それは、私たち自らが、私たちの健康を管理し、病を癒す能力があることをすっかり忘れてしまったからなのです。
そして、資本主義という経済システムのもとで、利益をあげることを至上命令とした医薬品会社・医療機器メーカー、そして医療を独占しようとする医師たちが、マスメディアを使い、 私たちからその能力の存在を、さらに忘れさせるよう巧妙に仕掛けているのです。

病院に行かなければ、医者にかからなければ、検診を受けなければ、病気は治らないと洗脳されているのです。「メタボ検診」はその典型例なのです。

(引用終わり)
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眼球突出で絶不調の本田、バセドー病で甲状腺切除手術

2015-07-28 | 

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眼球突出で絶不調の本田、バセドー病で甲状腺切除手術、恐るべき放射能の影響(6/30 日刊ゲンダイ)

ワールドカップでも福島県から食材と調理人を呼び、ブラジルに帯同して汚染食品を選手に食べさせた結果はご承知の通り

http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-3981.html

眼球突出で絶不調の本田、バセドー病で甲状腺切除手術、恐るべき放射能の影響(6/30 日刊ゲンダイ)

 
 ザッケローニ監督の最大の見込み違いが、大黒柱・本田圭佑が体調の不安を抱えコンディションを崩していたことだ。

 本田には喉仏の下にクッキリと10センチの手術痕があり、バセドー病の症状が進んで「甲状腺切除手術に踏み切った」とサッカー関係者の間ではもっぱらだ。

 バセドー病は、甲状腺ホルモンが過剰に分泌される自己免疫疾患。痩せる、眼球が突出する、心臓がドキドキする、大量発汗、手が震える――といった症状が表れる。

 本田は、W杯初戦コートジボワール戦の前半16分に先制弾を決め、3戦目コロンビア戦では前半終了間際にFW岡崎のゴールをアシストした。しかし、2戦目ギリシャ戦を含めて3試合とも後半になると完全に足が止まった。コロンビア戦では何度もボールを奪われて失点の発端にもなり、珍しく両膝に手を置いてうな垂れる場面もあった。新天地ミランで干されて試合勘を失い、コンディション調整に失敗したといわれたが、少なくともバセドー病の諸症状が出て、万全の状態ではなかったことは事実。チーム内からも「いつもの圭佑さんじゃなかった」という声が噴出した。

■最後の会見で一人だけスーツだった理由

 W杯1次リーグ敗退が決まり、日本代表は合宿地で監督、選手が記者会見に応じて「解散」したが、選手全員が練習着で対応する中、本田ひとりだけが背広にネクタイを着用。そのままチームを離れて単独行動。移籍先クラブのメディカルチェックを受けるためにドイツ経由で帰国した長谷部以外の監督、選手が同じチャーター便で帰国する中、本田の姿はどこにもなかった。

「背広にネクタイ姿は手術痕を見られたくなかったから」「メディアに追い掛け回されるリスクから一緒に帰国しなかった」など、現地であれこれ理由が取り沙汰された。

 いずれにしても、本田の絶不調を知りながら使い続け、チーム全体のパフォーマンス低下を招いたザッケローニが1次リーグ敗退の責を負うのは当然だとしても、本田に執着する指揮官をいさめなかったコーチ陣、監督と気心の知れた仲なのに本田外しを提言しなかったサッカー協会技術委員会の原委員長もまた、同罪と言わざるをえない。

 本田はW杯前報道陣に、「一度も自分の口から、手術したなんて言っていない。今、自分自身がここにいるということだけで十分じゃないかなと思います」と、手術については明言は避けていたが、チームスタッフは本田の体調についてしっかりコミュニケーションを取っていたのだろうか。

http://news.infoseek.co.jp/worldcup/article/gendainet_214405
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原発避難、「藩主」ら集団移住構想 相馬から広島へ

2015-07-28 | 震災、地震、原発関連

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原発事故の被災者が集団で広島県神石高原町に移住する構想福島の旧相馬中村藩主家34代当主・相馬行胤さん(38)と神石高原町の牧野雄光町長が11日に町役場で記者会見し、明らかにした。20~30家族が関心を寄せ、早ければ夏にも移住が始まるhttp://www.asyura2.com/13/genpatu31/msg/296.html

 

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