★Art Museum SKY Concert
(演奏:礒 絵里子さん(vn)、高橋 多佳子さん(p))
《前半》
1.エルガー:愛の挨拶
2.クライスラー:美しきロスマリン
3.クライスラー:中国の太鼓
4.篠原敬介:Forest of the Piano
5.ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調
6.ラヴェル:水の戯れ
7.ヴィヴァルディ:「四季」より『秋』
《後半》
8.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
《アンコール》
9.ヴュータン:アメリカの想い出
10.ハーライン:星に願いを
(2007年11月17日、於新津美術館アトリウム)
家人と一緒に新潟の新津美術館にコンサートを聴きに行った。
この日、日中は雲ひとつない快晴であったが、夕刻の会場直前にパスタ料理を賞味し車に乗り込むとき辺りから俄かに強い雨足に見舞われ、雷鳴が轟いた。。。
もちろん礒さんの絶好調を告げる前兆にちがいないと、にんまりしたことは言うまでもない。(^^;)
会場である美術館のアトリウムとはどんなコンサートホールなのかが気になっていたが、大理石をベースに作られた空間はなんともゴージャス。
演奏時にステージを除き灯りが落とされると、宮廷ほど大仰ではないけれど夜空も覗ける独特の雰囲気がいいムード・・・である。
イスはオシャレであるとはいえチャチかったが・・・。(^^;)
しかし演奏時ののライティングは幻想的でステキであった。
いつもこうしてコンサートの感動をしたためているが、難しいことは抜きにして、私にとってはこの二人が演奏して悪かろうハズはない・・・。
家人とともに掛け替えのない時間を楽しむことができた・・・で十分である。
とはいうものの、気づいたことだけ自分の覚えとして書いておくこととする。(^^;)
プログラムのうち4・5・6は先日立川でも聴いた演目である。
しかし、会場のロケーションやピアノが違うとこれほどに違うのかというほどに音の粒立ちの雰囲気が変わり、透明感が上がったりロマンティックに聴こえたりと不思議なほど。。。
要因のひとつには、横に家人がいたからと・・・いうことも挙げておいた方がなにかと都合がよさそうであるので、そうしておくこととする。
多佳子さんの演奏ではスケルツォ第2番の炸裂も爽快であったが、なによりもカンタービレの歌いくちの気分が颯爽としていて新鮮だった。
もうひとつこの演奏で忘れられないのは、わずかにだが珍しくそれと判るミスタッチがあったのだが、そこでひるんだりナーヴァスになることなく演奏の集中力は更に昂まり、コーダに至るや曲想に引きずり込まれて息が詰まりそうだったこと。
水の戯れについても、この会場のロケーションでは音の肉厚は望みにくかったけれど、粒立ちはさっぱり聴こえる傾向があったので、多佳子さんの言うキラキラはより強く感じられるようになっていたと思う。
前回の立川ではこの曲は「生涯2度目のお披露目」とのことだったが、この短期間の間にもいろんなところで弾き込まれたとみえて、ずっと手についたイメージがあった。
立川で「寝起きでもすらすら弾けるようになりたい」と仰っていたの境地は、すでにかなり現実味を帯びてきているのだろう。
もちろん、指慣らしはしなければならないのだろうが・・・。
さて、この記事を投稿するにあたりカテゴリーを磯さんにするか多佳子さんにするかで迷ったのだが、このコンサートのメインはやはりフランクのヴァイオリン・ソナタであろうから「磯さん」カテゴリーにするとした経緯がある。
初手のエルガーの「愛の挨拶」での磯さんのヴァイオリンの音色に早々と鳥肌が立って以降、クライスラーの小品やヴィヴァルディにおいても多様な音色を期待通りに楽しんでいたのだが、正直に言えばフランクではこのような演奏になるだろうと私の抱いていたイメージとは必ずしも一致していなかった。
もちろん演奏内容に不満があったわけでは決してなく、曲の新しい側面を聞かせてもらった思いである・・・といって差し支えないと思ってはいる。
全体的に言って、このような感想を持った主因は「ソリスト・・・それもB型」のおふたりがコンビを組んでいることであろう。
真意を表現するのは難しいのだが、2人で共に曲(のムード・・・曲調?)を形作るところ、それぞれが曲の求めるところに応じてかあるフレーズを非常に印象的に刻むことがあった・・・と言い換えたら少しは伝わるだろうか?
将来の自分のためにもわかるように書き残しておきたいのであるが・・・。
「流れに棹差す」というと昨今「流れに乗る」という本来の意味のほかに「流れを堰き止めようとする」という意味もあるそうだが、そのそれぞれの繰り出すフレーズがどっちの意味でも『流れに棹差している』状態になるような、それもごく何気ないところで「えっ!?」と思わせられるように弾かれていることがあったので、新鮮だったというかビックリしたというか・・・「はっ」とするぐらいならまだしも。。。(^^;)
ただこのお2人が協調して「曲」に挑んでいく姿勢のときの凄みにはいい悪いは関係なく、また私のしょぼい感性が抱きうる期待などはるかに越えて鬼気迫るものがある・・・そしてこれは正に期待通りであった。
そのときに私が感じるフィーリングこそが、この2人の演奏に求めるものなので、結果としてその意味では大満足!!・・・なのであるが。(^^;)
具体的には第4楽章のコーダ、お気楽メロディーの曲だと思っていましたが、こんなアスリートな曲だとは。(^^;)
最後の前の音、弾ききったという感じの礒さんのボウイングには、以前ブラームスのトリオの最後で聴いたあの熱狂が感じられ、頭の先から煩悩がスカッと抜け出ていく気がした。
ヘンな表現だろうか?
逆に新たな気づきとも言うべき印象を持ったのは第3楽章。
展覧会の絵のプロムナードみたいに第1楽章冒頭のヴァイオリンのメロディーがピアノで表される辺りなど、このように感じられたのははじめてである。
各楽章で朗々とあるいは強奏される、例の循環形式の主題みたいな3つの下降音階に始まるフレーズにせよ、巧みに配されている曲であり、その意味では展覧会の絵の例えの他、リストのロ短調ソナタみたいに手を代え品を代えしているんだということが、しっかり認識できた。
ここからが「新たな気づき」なのだが、件のフレーズは強奏されるときは絶対に悲劇的・絶望的なニュアンスであるものだと思い込んでいたのだが、この第3楽章においての御二人の表現は楽観的とまではいわないが英雄的・あたたかさ・おおらかさ・慈しみをも感じさせるような趣があった。
多佳子さんの左手の湛える底光りのする深み、磯さんの野太い(というと語弊があるが言葉が思い浮かばないので失礼)・・・そんな感じの深みある音が今も耳の奥に残っていて、この夜の白眉だったと思っている。
ところで多佳子さんには「第2楽章を期待しています」と言っておいたところ、ベラ・ダヴィドヴィチを意識して脱力して弾かれるとの所信表明を戴いていた。
いつもながらの豊かな響きを湛えていながら、毅然としてもたつかない左手のリズム(グルーヴ?)に乗って進行していく演奏に私は満足したのであるが、ご本人はまだ課題を見出しておられるようである。
この楽章に限らず、またおふたりで楽譜から新しいことを発掘していただき、我々に届けていただくことを願って止まない。
さて、アンコール最後に奏してもらった「星に願いを」はピノキオのあの曲である。
昨年の今時分、静岡時代の同僚が亡くなったときに磯さんのディスクにあるこの曲の演奏に深く慰められた記憶がある。
折りしもコンサートの少し前に、その同僚の奥様から「一周忌を迎えたが、新天地で元気で頑張っている」との音信が取れたばかりであった。
私にとっては掛け替えのない曲であり、この演奏の間中そんなことどもを思い出しながらしんみりと聞き入った。
これは(後に事情を話した)家人にあっても同じ思いになったろう・・・。
礒さんに話したら「そういってもらえると・・・」と仰ったが、彼女の芸術にはそんな個人的なできごとに更に深く感銘を与えてくれる力がある。
ここでこの曲を選び、その芸術の力を十二分に魅せてくれたお2人にあらためて深く感謝したい。
多佳子さんは終演後、プログラムにサインしてくださる際に「私たちもっとうまくなるよね!」と礒さんに向かって仰ったが、「おふたりが音楽に向かって真摯に信じるところを研鑽し続けられる限り、その成果を聴くために追いかけていきますよ」と応えたい。
このデュオにあっては、その鳥肌が立つほど感激するというお互いの音をよ~く聴きあって、2人がこうだとおもう音楽を楽しんで作り上げていただければ、それで夢は叶うんじゃないかと・・・そう信じて疑わない。
もちろん夢には演奏者だけではなく聴き手である「私」のそれも含まれている。
(演奏:礒 絵里子さん(vn)、高橋 多佳子さん(p))
《前半》
1.エルガー:愛の挨拶
2.クライスラー:美しきロスマリン
3.クライスラー:中国の太鼓
4.篠原敬介:Forest of the Piano
5.ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調
6.ラヴェル:水の戯れ
7.ヴィヴァルディ:「四季」より『秋』
《後半》
8.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
《アンコール》
9.ヴュータン:アメリカの想い出
10.ハーライン:星に願いを
(2007年11月17日、於新津美術館アトリウム)
家人と一緒に新潟の新津美術館にコンサートを聴きに行った。
この日、日中は雲ひとつない快晴であったが、夕刻の会場直前にパスタ料理を賞味し車に乗り込むとき辺りから俄かに強い雨足に見舞われ、雷鳴が轟いた。。。
もちろん礒さんの絶好調を告げる前兆にちがいないと、にんまりしたことは言うまでもない。(^^;)
会場である美術館のアトリウムとはどんなコンサートホールなのかが気になっていたが、大理石をベースに作られた空間はなんともゴージャス。
演奏時にステージを除き灯りが落とされると、宮廷ほど大仰ではないけれど夜空も覗ける独特の雰囲気がいいムード・・・である。
イスはオシャレであるとはいえチャチかったが・・・。(^^;)
しかし演奏時ののライティングは幻想的でステキであった。
いつもこうしてコンサートの感動をしたためているが、難しいことは抜きにして、私にとってはこの二人が演奏して悪かろうハズはない・・・。
家人とともに掛け替えのない時間を楽しむことができた・・・で十分である。
とはいうものの、気づいたことだけ自分の覚えとして書いておくこととする。(^^;)
プログラムのうち4・5・6は先日立川でも聴いた演目である。
しかし、会場のロケーションやピアノが違うとこれほどに違うのかというほどに音の粒立ちの雰囲気が変わり、透明感が上がったりロマンティックに聴こえたりと不思議なほど。。。
要因のひとつには、横に家人がいたからと・・・いうことも挙げておいた方がなにかと都合がよさそうであるので、そうしておくこととする。
多佳子さんの演奏ではスケルツォ第2番の炸裂も爽快であったが、なによりもカンタービレの歌いくちの気分が颯爽としていて新鮮だった。
もうひとつこの演奏で忘れられないのは、わずかにだが珍しくそれと判るミスタッチがあったのだが、そこでひるんだりナーヴァスになることなく演奏の集中力は更に昂まり、コーダに至るや曲想に引きずり込まれて息が詰まりそうだったこと。
水の戯れについても、この会場のロケーションでは音の肉厚は望みにくかったけれど、粒立ちはさっぱり聴こえる傾向があったので、多佳子さんの言うキラキラはより強く感じられるようになっていたと思う。
前回の立川ではこの曲は「生涯2度目のお披露目」とのことだったが、この短期間の間にもいろんなところで弾き込まれたとみえて、ずっと手についたイメージがあった。
立川で「寝起きでもすらすら弾けるようになりたい」と仰っていたの境地は、すでにかなり現実味を帯びてきているのだろう。
もちろん、指慣らしはしなければならないのだろうが・・・。
さて、この記事を投稿するにあたりカテゴリーを磯さんにするか多佳子さんにするかで迷ったのだが、このコンサートのメインはやはりフランクのヴァイオリン・ソナタであろうから「磯さん」カテゴリーにするとした経緯がある。
初手のエルガーの「愛の挨拶」での磯さんのヴァイオリンの音色に早々と鳥肌が立って以降、クライスラーの小品やヴィヴァルディにおいても多様な音色を期待通りに楽しんでいたのだが、正直に言えばフランクではこのような演奏になるだろうと私の抱いていたイメージとは必ずしも一致していなかった。
もちろん演奏内容に不満があったわけでは決してなく、曲の新しい側面を聞かせてもらった思いである・・・といって差し支えないと思ってはいる。
全体的に言って、このような感想を持った主因は「ソリスト・・・それもB型」のおふたりがコンビを組んでいることであろう。
真意を表現するのは難しいのだが、2人で共に曲(のムード・・・曲調?)を形作るところ、それぞれが曲の求めるところに応じてかあるフレーズを非常に印象的に刻むことがあった・・・と言い換えたら少しは伝わるだろうか?
将来の自分のためにもわかるように書き残しておきたいのであるが・・・。
「流れに棹差す」というと昨今「流れに乗る」という本来の意味のほかに「流れを堰き止めようとする」という意味もあるそうだが、そのそれぞれの繰り出すフレーズがどっちの意味でも『流れに棹差している』状態になるような、それもごく何気ないところで「えっ!?」と思わせられるように弾かれていることがあったので、新鮮だったというかビックリしたというか・・・「はっ」とするぐらいならまだしも。。。(^^;)
ただこのお2人が協調して「曲」に挑んでいく姿勢のときの凄みにはいい悪いは関係なく、また私のしょぼい感性が抱きうる期待などはるかに越えて鬼気迫るものがある・・・そしてこれは正に期待通りであった。
そのときに私が感じるフィーリングこそが、この2人の演奏に求めるものなので、結果としてその意味では大満足!!・・・なのであるが。(^^;)
具体的には第4楽章のコーダ、お気楽メロディーの曲だと思っていましたが、こんなアスリートな曲だとは。(^^;)
最後の前の音、弾ききったという感じの礒さんのボウイングには、以前ブラームスのトリオの最後で聴いたあの熱狂が感じられ、頭の先から煩悩がスカッと抜け出ていく気がした。
ヘンな表現だろうか?
逆に新たな気づきとも言うべき印象を持ったのは第3楽章。
展覧会の絵のプロムナードみたいに第1楽章冒頭のヴァイオリンのメロディーがピアノで表される辺りなど、このように感じられたのははじめてである。
各楽章で朗々とあるいは強奏される、例の循環形式の主題みたいな3つの下降音階に始まるフレーズにせよ、巧みに配されている曲であり、その意味では展覧会の絵の例えの他、リストのロ短調ソナタみたいに手を代え品を代えしているんだということが、しっかり認識できた。
ここからが「新たな気づき」なのだが、件のフレーズは強奏されるときは絶対に悲劇的・絶望的なニュアンスであるものだと思い込んでいたのだが、この第3楽章においての御二人の表現は楽観的とまではいわないが英雄的・あたたかさ・おおらかさ・慈しみをも感じさせるような趣があった。
多佳子さんの左手の湛える底光りのする深み、磯さんの野太い(というと語弊があるが言葉が思い浮かばないので失礼)・・・そんな感じの深みある音が今も耳の奥に残っていて、この夜の白眉だったと思っている。
ところで多佳子さんには「第2楽章を期待しています」と言っておいたところ、ベラ・ダヴィドヴィチを意識して脱力して弾かれるとの所信表明を戴いていた。
いつもながらの豊かな響きを湛えていながら、毅然としてもたつかない左手のリズム(グルーヴ?)に乗って進行していく演奏に私は満足したのであるが、ご本人はまだ課題を見出しておられるようである。
この楽章に限らず、またおふたりで楽譜から新しいことを発掘していただき、我々に届けていただくことを願って止まない。
さて、アンコール最後に奏してもらった「星に願いを」はピノキオのあの曲である。
昨年の今時分、静岡時代の同僚が亡くなったときに磯さんのディスクにあるこの曲の演奏に深く慰められた記憶がある。
折りしもコンサートの少し前に、その同僚の奥様から「一周忌を迎えたが、新天地で元気で頑張っている」との音信が取れたばかりであった。
私にとっては掛け替えのない曲であり、この演奏の間中そんなことどもを思い出しながらしんみりと聞き入った。
これは(後に事情を話した)家人にあっても同じ思いになったろう・・・。
礒さんに話したら「そういってもらえると・・・」と仰ったが、彼女の芸術にはそんな個人的なできごとに更に深く感銘を与えてくれる力がある。
ここでこの曲を選び、その芸術の力を十二分に魅せてくれたお2人にあらためて深く感謝したい。
多佳子さんは終演後、プログラムにサインしてくださる際に「私たちもっとうまくなるよね!」と礒さんに向かって仰ったが、「おふたりが音楽に向かって真摯に信じるところを研鑽し続けられる限り、その成果を聴くために追いかけていきますよ」と応えたい。
このデュオにあっては、その鳥肌が立つほど感激するというお互いの音をよ~く聴きあって、2人がこうだとおもう音楽を楽しんで作り上げていただければ、それで夢は叶うんじゃないかと・・・そう信じて疑わない。
もちろん夢には演奏者だけではなく聴き手である「私」のそれも含まれている。
欲をいえば美術館備品のピアノが、けっしてプロをお招きして演奏会をするようなものではないのが残念でした。あそこでコンサートをするのも年に何回かですし、ましてやクラシックのピアノの演奏会は、覚えている限りでもあまりないので、ピアノも普段は使われていないんじゃないかと思います。しかし、ピアニストはどこへ行っても、そこにあるピアノで出来る限り最大限の演奏をしなければならないので、大変ですよね。あるピアニストは地方公演に行く時、会場にあるピアノの種類を聞いて、演奏する曲目を変えることもあるって聞きました。
さて、コンサートも終わり、CDにサインをしていただこうと列に並んでいたら、私の前で多佳子さん達と記念撮影したりして、ものすごく盛り上がっているご夫婦が…。あとで多佳子さんにお聞きしたらアラウさんだったのですね
確かにピアノがフルコンサートグランドだったらという想いはありますよね。
でも、今回は礒さんとのアンサンブルでしたから、あの大きさがベストだったかもしれませんよ。
ソロの曲にしてもロケーション(会場・楽器など)によって聴こえ方が違うのはよくある話なので、むしろライヴの場合はそのとき、そのときを共有していること、息遣いを感じながら聞くことに楽しみを見出すようにしています。
それも、多佳子さんたちから教わったことです。
聴き手の私は、気分的にはともかく終演後しかはしゃげませんので、いつも終わった後に演奏したかたにお礼と感想をお伝えするようにしたいと思っています。
あそこではしゃいでいたのは私であって、かみさんは記念写真にもよくつきあってくれたと思っています。
これからもよろしくお願いします。(^^)v
最近、美しいピアノの音色にこだわったり、ピアノの質とか調律とか、そんな事ばかりに気を取られている私でした。
ソロではやはり物足りなさを感じましたけど、あの場所で磯さんとのアンサンブルだったら全く問題ないですよね。
アラウさんの言葉であらためて気付きました。
ピアノが好きなのでピアノ中心の演奏会に行ってるのですが有名なところで、来週音文でイエルク・デームス、再来週は小菅優さんのピアノを聴きに行きます。同じ時を共有する、そんな気持ちで聴きに行きたいと思っています
一緒に時間を過ごす中でリサイタルをともに作り上げていくわけですから、そこで何を楽しむべきかは自分で選んでいいのでは?・・・という思いがあるということです。
ピアノであれば、昨今話題のファツィオーリとか、自前のピアノを持ち歩く人とか・・・ディスクを残すのであれば会場もピアノも厳選するんでしょうが、多佳子さんたちはアウトリーチ活動なども含めて、多くの余りなじみのない人にも関心を持ってもらうべくあちこち演奏されてるようですから、その精一杯のパフォーマンスを満たされて聴くのが最も幸せなんじゃないかなぁ~。
デームス・・・いいですね。
彼のフランクのディスクが大好きです。
ベートーヴェンの最後の3つのソナタのディスクも最近出てましたが、粋さ加減が染み付いてますね。
小菅さんも楽しみですね。
彼女もまだまだ素晴らしい可能性をいっぱい持った演奏家だと思っています。
楽しんできてくださいね。(^^;)