就職したばかりの頃、所用があって東京へ行き、用事を済ませてから高校時代の友人Nに会った。Nは
「いとこがいるから遊びに行こう」
と言い、一緒に新宿まで行った。
いとこというのは、二十歳くらいの美容師さんで、目鼻立ちのはっきりした美人だった。
彼女の職場近くの喫茶店で雑談をしたが、Nが突然
「よかったら、あんた達、付き合わないか」
と言った。
思いがけない話に、私は驚いた。
彼女は、おそらくNから聞いていたのだろう。驚いた様子もなく、恥ずかしそうにしているだけだった。
私は、他に何と言っていいかわからず
「手紙のやり取りから始めましょう」
と言った。
当時、私は滋賀県に住んでおり、アパートには電話もなかった。
すぐに彼女から手紙が来た。それには
「お別れするとき、あなたの姿が見えなくなるまでずっと見ていました」
とか
「就職が東京だったらよかったのにね。そしたらいつでも会えたのに」
とか、書いてあった。
私はすぐに返事を書いた。
だが、当時の私は、就職したばかりで何かとあわただしかった。
手紙は間遠くなり、一度も会うことなく、彼女との間は自然消滅した。
その後何十年かして、Nが出張で鹿児島へ来たとき、天文館で飲みながら彼女の近況を話してくれたが、それは驚くものだった。
多くの店を抱える美容院チェーンの社長をしているというのだ。
私は、彼女の成功を祝福しつつ
「自分があの時もっと熱心で、彼女と結婚ということにでもなっていたら、髪結いの亭主で今頃は左うちわだったかも」
と思ったり
「そんな大物の女なら、私など尻に敷かれて、一生頭が上がらなかったに違いない」
と思ったりして、複雑な心境だった。