鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

調所笑左衛門の史跡

2008-11-13 | 史跡
幕末、薩摩藩の財政は行き詰まっていました。
時の藩主、島津重豪は、一介の茶坊主上がりの調所広郷(ずしょひろさと、通称笑左衛門)を家老に抜擢し、財政改革を命じました。
調所は、財政の興隆を図り、数々の土木工事や殖産事業を起こしました。
西田橋など甲突川五石橋も、調所の発案によるものです。
500万両あった借金を返済し、50万両の蓄えを残しました。
これが、薩摩藩の明治維新の原動力となったことはよく知られています。

薩摩焼で有名な、日置市東市来町美山にある玉山神社。
この参道に、調所の墓があります。


調所笑左衛門と村田堂元の招墓。
調所は、当時行き詰まっていた苗代川(美山)に村田を派遣し、数々の施策を実行し、苗代川の人々を救いました。
これに感謝した苗代川の人たちが、招魂墓として建立したものです。


鹿児島市、甲突川河口の天保山公園にある調所笑左衛門の像。

調所は、幕府より密貿易の責任を取らされ、自害します。
その汚名は、今でも晴らされておらず、西郷、大久保、島津斉彬など、維新の功労者に比べ人気がありませんが、調所の財政改革がなければ明治維新も成らなかったでしょう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする