まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

秋の出来事 Ⅲ

2017年10月11日 | 日記
「野生に 声あり」 ナナオ サカキ

ひとりの人間は 自然と 人間性を 代表する
20世紀の経済社会は
自然に反し 人間性に さからってきた
悲惨と屈辱の歴史を これ以上 くりかえさないよう
さわやかで たのもしい 経済社会への道を
みんなで さがそう

1.ぎりぎり 必要なものだけを 求めよう
2.工場製品でなく 手づくりを
3.スーパーマーケットでなく 個人商店 または生協に つながろう
4.虚栄と浪費のシンボル―誇大広告を まずボイコットしよう
5.最大の浪費 ミリタリズム(軍国主義)に かかわらない
6.生活のすべてに もっと 工夫と創造を
7.新しい 生産と流通のシステムを 試みよう
8.汗と思いを わかち合う よろこびから
9.真の豊かさとは 物と金に 依存しないこと
10.野生への第一歩 - 私は 歌 私は ここを歩く

 ナナオ サカキ


30年以上前‥滋賀県の小学校(廃校)でゲーリー・シュナイダーとナナオ・サカキの“ポエトリーリーディング”が開催された。

息子を連れて参加した。まだ次男は生まれてもいない。

主催者は福村祖牛。
僧侶であり庭師でもあり‥山水人(やまうと)の主催者。

ナナオに誘われてカリフォルニア、ニューメキシコ、ニューヨークと共に旅をし、アレン・ギンズバーグとゲーリー・スナイダーの日本での朗読会の準備をした。
ニューヨークでのアレンとナナオの朗読会では超満員で入りきれない人がたくさんいた。詩人に対する評価がこちらとはかなり違う。
(若き日の祖牛の感想)

9月下旬の加賀 山代のライブには祖牛さんがいて、アキーラやひろさんの横でパーカッションを担当。

10年は一昔《ひとむかし》‥20年なら二昔《ふたむかし》三十年は三昔《さんむかし》いや みむかしか?
祖牛さぁーん 懐かしい お変わりなくてなによりです。
差し出した両手をしっかりと暖かく握ってくださって有難う。

息子ソウルも大感激‥小さかったからねぇ。

ナナオが逝ってから10年。

思いがけない懐かしい人‥との邂逅で‥縁の不思議さと人生という途(みち)の醍醐味をしみじみと噛みしめたのだ。

夜はナナオの話に花が咲いた。
ひろさんのパートナーがインドのブッタガヤでナナオの散骨をしたという話も含めて‥思い出の数だけナナオがいる‥

魔法にかけられたような時間がすぎていく。

ナナオは死ぬ直前まで毎年能登半島に来ていた。
一年のうち合計すると1~2か月は我が家に滞在していた事になる。

「うちのお爺ちゃんは世界をほうろうしているひとです」
次男が作文に書いたのは、笑い話だったが‥小学生だった彼が‥いまでは30前のおっさんである。

私は歌 私はここを歩く

それぞれの場所と時代でナナオと出逢った人々が‥年齢も性別も超えて時間を共有している不可思議さ。

自分ではない誰か‥ここではないどこか‥ではなく いまここで、誰もが、身の丈の自分の歌を歌っている。



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