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人間思い込みで生きている

2004年09月03日 19時19分39秒 | 哲学
人間生きていると時々記憶のあいまいさを感じることがあると思います。私はカタンのルールを間違ったままインストし、指摘されるまでずーっとそれで正しいと思っていたのです。恐ろしいことに私が記憶していたカタンのルールは、指摘されるまでの間、私の中では真実だったとです。
しかし思い込みは通常の生活において、無くてはならないものです。
マジック・ザ・ギャザリングでは無限にマナを生んだり、無限にライフが増える、無限にクリーチャーが場に出るといったコンボがあります。その時、ライフカウンターを無限大個出したり、クリーチャートークンを無限大個出すことはしません。想像で無限大であると思い込むのです。そもそもマナプール自体架空の存在ですが・・・マジックを知らない方はごめんなさい、なんとなく分かってくださいまし。
それで自分と対戦相手が(事実であると)理解するのですから、想像の力というのはものすごいものがあります。

思い込み=想像力という書き方をしてしまいましたが、今回は想像力と思い込みを同じ意味のこととして話をしてみたいと思います。

幽霊は居るのか
という問いに対して私は「居てもいいんじゃん」という立場をとってます。居る、居ないを語ってしまうと脱線してしまうので今回は避けたいと思います。
私は幽霊は見えませんし、感じれません。でも実際に見える・感じるという人はいるし、いつの時代にもどの世界にも、見える・感じるという人はいたわけで、現実に居るかも知れない。居ないとも言い切れない。居ると言われても信じれないわけです。
ただ、私は見えたり・感じたりできないのに、幽霊を怖いと思うのです。富士急ハイランドのお化け屋敷なんてもっての他だし、怖い映画は一人で(たまにしか)観れません。
見えないし・感じれないのに夜独りぼっちでお墓の脇とか通ったら、なんか怖い。って感じるし、出ると噂される心霊スポットには行きたくない。それはお化けは怖いという思い込み(イメージ)があるからなんだと思うとです。

お化けは居ない!と仮定してみます。居る派の方ごめんなさい。あくまで仮定っす
江戸時代、明治、大正時代は今よりも灯りが少なかった。人々は夜の闇に本能的に恐怖を感じたはず。そこで何かのカゲやぼんやりとした何かを、お化けと思い込んだり、又は人や動物かと思っていたものが実は木を見間違えたりして、その体験が語られ歌舞伎などで伝えられるうちにお化けや妖怪といったものになっていたのではないだろうか・・・
そして僕らはそのお化けや妖怪のイメージをそうだと思い込み光りや音の現象をそれだ、と思い込んでいるのかもしれない・・・。

ちょっと脱線しちゃいましたね。
言いたいのは居る、居ないじゃなくて、お化け、UFO、地底人、神様、雪男、超古代文明、etc・・・それらを実際のものだと信じて人生をささげる学者や研究者も居るのだし、僕らは想像するだけでワクワクしてくるものだ。マンガやアニメで、お化け、幽霊、死神などを題材にしてるものは多数あってそれらを居ないからつまらない。と思う人はいないに等しいはず。
想像をかきたてられて、そのマンガやアニメの中ではそれが実在すると思い込んで観ることができる。そこに人間のあいまいさと素晴らしさがあるとですよ。
お化けやUFOに関してはいるかもしれないってだけで楽しいし、それがあるからマンガ・アニメは楽しいし、日本経済は動いているとよ。だから居てもいいとです。でも僕の前に現れる時は黙ってないでベラベラいろいろしゃべってね。そしたら怖さも半減するとよ。


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2 コメント

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はじめまして。袋小路からのリンクで飛んできました。 (k2kc)
2004-09-04 14:13:12
はじめまして。袋小路からのリンクで飛んできました。
私が今、ブログに書き終えた内容とちょっと似ているな、と思いながら読みました。で、あんまり面白かったんで、コメントに。
やー、偶然ってあるもんですね、ちょうど今書き終えたばかりなのに。
おもしろいおもしろい。
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この世の中不思議なことがいっぱいありますよね~ (sirou)
2004-09-04 22:32:34
この世の中不思議なことがいっぱいありますよね~
それらを偶然だと言い切るのはつまらないし、
かといって科学的根拠を正解と決め付けるのも面白くないんですよ。
科学的根拠も知っていて、偶然も楽しむ。
不思議なことは楽しむに限る。
と思っています。
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