ボードゲームを始めよう

ボードゲームは知的で楽しく、子供から大人まで楽しめる

「普通」と「セオリー」

2004年12月17日 17時57分44秒 | 哲学
普通の人、普通の事、普通とは何でしょう?
普通とはつまり一般的ということ、一般的とはつまりは多数決と思う
たくさんの人がそうだと答えた(答えるだろうとされる)ことが一般的であり、普通だと言える。

お母さんに、普通の人はそんなことしないよ!と言われる子供。っていうシチュエーションがよくありますが、(あるかなー・・・自分はよく言われました)普通の人ってどんな人だよ!って思いますよね。普通が良い、という心理は、人間の大衆心理というか、みんなと同じことをしていれば安心する心理みたいのからくるのかなー

そんな心理学は置いといて、放っておいて。
んじゃーセオリーって何よ?ゲームの手順、勝利への効率を考えた上で取るべき行動→セオリーっつー感じですかね。このセオリーってのがなかなか面白くって、ゲーム製作者たちはこのセオリーをどうゆうふうにするかってことを色々考えているんじゃないかなと思うのです。それ故に読み合いだったりセオリー通り、セオリー無視が面白いのである。

んでもっと面白いのは、社会的な普通と、ゲームのセオリーは同一でない所です。一見普通にプレイしててもなかなか勝てない、突き詰めて考えてゆくと、こうの方がいい、こうしちゃダメっていうセオリーができてくる。しかもそれが誰がどぅ考えてもそれが最高の手順であればいいのですが、そうもいかない。好き嫌いもあるし、個人個人でセオリーが違うケースの方が多いのだ。

んで結局何がいいたいかというと、万人がそうだと認めるセオリーは無い。ということ。
普通の人、なんていないってこと。
皆がそれぞれ考え方が違ってるってことを知っているか、知っていないか、だったら知っていた方が、なんかイイじゃん。ってことが言いたい。普通やセオリーで自分以外の人のプレイや思考を批判するのは、あまり良くないと私は思っている

ってことが言いたい。変な文・・・


最新の画像もっと見る

コメントを投稿