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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

国宝!!松江城

2016-11-05 09:18:50 | 旅行記
 お城巡りで備中高松城・松山城とくれば山陰に回って昨年7月に国宝に再指定された「松江城」は外せない。

 昭和10年に一度国宝に指定されその後重要文化財に改称された後の悲願の再指定なので地元は盛り上がっている。

 心なしかパンフレットの松江城の文字より「国宝」の文字が誇らしげに躍っていた。

 
 (紅葉が始まった松江城)
 水が豊富なのでお堀の水もふんだんにある。水鳥も生活が楽だと言っていた。

 
 (国宝:松江城)
 以前訪れた時は、閉門ぎりぎりでとうとう中には入らず終いだったが・・・。

 
 (天守閣から宍道湖方向)
 お城の階段が急なのはどこも一緒で、手摺りに掴まりながら最上階に登る。

 町並みの向こうに宍道湖が見える。

 松江は宍道湖と松江城それに出雲大社、加えて小泉八雲で成り立っていると思えるほど・・・。

 
 (盛り上げたいの武将)
 突然ケバケバしい衣裳の武将が現れたので伺ったら、ボランティア団体「岐阜城盛り上げ隊」の一員とか。

 具足の後ろの方に名前札がぶら下がっていたので確認すると「明智光秀」とあった。

 メンバーは8名で斎藤道三を始め8人の武将をそれぞれがになっているらしいが、なかなか個性的な武将ばかりで構成されているようだ。

 岐阜城の盛り上がりを祈るばかりだ。

 
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天空の城「備中松山城」

2016-11-04 20:45:58 | 旅行記
 天空の城といえば兵庫県の「竹田城」が先行しているが、それでも幾つかの城址が名のりをあげている。

 その中でも天主が現存している山城で、気象状況によってまさしく天空の城になっているのが「備中松山城」

 天空の城というだけあって、雰囲気は山登り。

 
 (登城口の階段)
 有名になって訪れる人が多くなり、途中の駐車場が狭いのでシャトルバスを運行している。

 ほとほと疲れたと息があがるころ見えてくるのがNHKの大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場するらしい石垣などの城郭。

 「らしい」というのは、ドラマの「真田丸」を見ていないのでこの程度のあやふやな発言しか出来ない。

 
 (備中松山城の石垣)
 石垣の真下にくればもう天主は直ぐだというのに、この辺りで音を上げる人も結構多い。

 音を上げてもう登りたくないという太めの男性の言い分がふるっていた。

 「この城を見なかったことで、俺の人生にどんな影響があるって言うんだ。俺はもうやめた」

 一緒に昇っていた友人らしい男性への一言だった。

 確かに・・・無理は禁物、勇気ある撤退も必要だ。

 
 (天守閣)
 
 (天守閣から高梁市を望む)
 天守閣からの眺めは確かに絶景かなと言いたくなる。

 
 (自然の岩盤を利用した石垣)
 自然の岩盤を利用した石垣は見事。

 山じたいが急峻な地形で登るのに苦労した挙げ句最後に石垣に阻まれる設定になっている。

 ただしあまりに急峻な山城であるがゆえに、殿様が登るのに疲れて下の城下の方でもっぱら政務を行ったというから、なんのこっちゃと突っ込みを入れたくなる。

 廃城になった後、本当に朽ちそうになっていた城は、地域の人々の努力によって再建されていって現在に至っている。

 それでは一句いってみよう。

 「城もいい平和の城である限り」

 

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備中高松城に行ってみた

2016-11-03 20:10:32 | 旅行記
 2016秋の中国路と銘打って、中国地方の中央部から山陰にかけてプチ旅行をしてみた。

 相方が古い城などに異常なまでの興味を示すので、ハッキリ言ってメインは城&城下めぐり。

 そんなこんなで3泊4日のマイカーでほっつき廻った。

 第1日目はほぼ500Km程度の長距離走行の後岡山県は「備中高松城跡」へ向かう。

 
 (備中高松城水攻めの図)
 「信長」の命により中国攻めに向かった「秀吉」が黒田勘兵衛の進言によって高松城を水攻めにすることに決し、自然の地形を利用して堤防を築き水を貯めて兵糧攻めにしている最中に「信長」が本能寺で「光秀」に討ち取られたという情報を、知らせようと毛利方に急いでいた密偵を誤魔化して、情報をいち早く知った「秀吉」は「毛利」との和睦を急ぎ、そのまま京都に向かってとって返し、明智を討ち果たしてとうとう天下を取ってしまった。という情報収集能力・状況判断能力・行動の迅速性の差が天下取りのターニングポイントになったという話がもてはやされて、高松城の話などあまり聞くこともなかった。

 
 (備中高松城跡)
 現地は行ってビックリ見てびっくり。

 な~んと低いのなんの、平城もいいとこで沼地にお城が建っていたようだ。

 周りが沼地だから攻めるには難渋するが、補給路を断たれれば戦わずして負ける地形。

 
  (築堤跡)
 高さ8m・幅25m・長さ3Kmと簡単に言うが、これを12日間で築いたというのはちょっと驚き!

 築堤の遺構の一部が発掘されて残っているので、嘘ではないのだろうが工事のスピードアップには秀吉独自のアイディアによるところが大きいようだが、勝った奴は歴史を格好良くする癖があるから要注意。

 
 (高松城と築堤の高さを表す標識)
 参考として、当時の高松城と築堤の高さを表示してあるが、なるほど築堤の方がお城よりかなり高い。

 高松城攻めといい、後の時代の小田原城攻めといい秀吉の戦法は圧倒的な戦力を持って包囲し、味方の損失を最小限に抑えて勝利をものにするという理にかなった戦い方をしている。

 天下を取った後の政権の維持のための組織や後継者の育成に関しては同一人物とは思えない失敗が多いが・・・。

 第一日目は高松城の落城を見届けて、そのまま高梁市へ向かい1泊する。

 明日はあの天空の城「備中松山城」へ向かう。

 平城から明日は究極の山城、各々方油断めさるな!

 
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旅行外伝・出会った動植物

2015-05-02 12:53:09 | 旅行記
 旅行中にもいろいろな動・植物に巡り会った。

 初日の竹田城跡ではウグイスが直ぐ傍で大きなホーホケキョにケキョ・ケキョの谷渡りまで披露してくれた。

 今日は番外編で出会った生き物を少し紹介してみる。

 

 姫路城の近くの骨董品の店先で展示物に混じって愛嬌を振りまいていた「黒白の猫」。

 

 好古園の庭に咲いていた「翁草」は、子供の頃はよく見かけた花だがある時期から忽然と姿を消した。

 あまりに懐かしかったのでパチリ。

 

 佐渡のトキの森公園で生まれて数日のトキの赤ちゃん。

 夫婦で子育てに奮闘中の様子だった。

 

 新潟港から佐渡に渡るフェリーをいつまでも追いかけてついてくる鳥「かもめ?ウミネコ?」

 もちろん沢山の人間にも出会い、シャッターの押し合いもしたし、佐渡では運転席でアンケートに答えさせられた。

 「寄り道をして人情に触れた旅」

 さて、日常の世界にカンバックしましようか。

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わんさか人出の姫路城と静かな高砂の浜

2015-05-01 09:34:10 | 旅行記
 旅の第6日目は関ヶ原の東に接する大垣城からスタート。

 

 街道を制する戦略上の要点にあり、関ヶ原の合戦前期には石田三成が抑えていたものの、家康の西進から防御に有利な関ヶ原に下がって布陣したため城は空けられた。

 関ヶ原以降戸田氏が入城し、幕府の安定政権と戸田氏の善政によって明治維新まで平穏な時代が続いた。

 さて旅の方は名神~中国~山陽と移動して姫路城下へ。

 

 平成の改修が終わって一段と白さに磨きがかかって、ほぼ真っ白状態の白鷺城。

 国内・海外の来訪者が多く天守閣などはかなりの待ち時間が・・・・。

 以前訪れたとき省略していた西の丸の見学が今回の目的だったので、天守閣は外観だけ楽しませて貰って今回は省略。
 
 そのため数時間待ちの混雑も経験すること無く千姫の生活場所などをユックリ回ることが出来た。

 

 千姫も見たかどうかは知らないが、隣接する「好古園」もあわせて散策した。

 

 メインの庭園とそれぞれに主題を持たせた幾つかの特徴有る庭の組み合わせにより構成された庭園である。

 そして、やはり今日も締めくくりは謡曲「高砂」に謡われる「高砂の浜」に行くことになった。

 

 時代劇の結婚式の場面ではよく謡われるし、和式の結婚式では最近でも謡われることがある「高砂」。

 結婚式の高砂は、肥後国・阿蘇神社の神主「友成」が住吉・高砂の松の精たる老夫婦と別れ、高砂の浜から船出して住吉へ向かう情景の部分のみに絞ったもので、相生の松の由来に鑑み「若い二人が人生の海に希望を持って船出する今を祝う」という優しさに溢れた曲なのである。

 普通は仲人や主賓格の年寄りが謡うものだが、私は娘の結婚式に謡ってしまった。

 配偶者が歴史が好きでお城などに興味があり、私が謡曲の場面に登場する事物を訪ねることに興味があるので、旅の計画はおおむねその両者を巧く組み合わせることにしている。

 6泊7日3200Kmのマイカーでの旅はおおむねその目的を達成した。

 「背と腹で 変わる文化や ウナギ飯」

 ウナギの開き方でも地域に違いが出てきます。

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戦国歴史絵巻を訪ねる

2015-04-30 08:41:34 | 旅行記
 旅の第5日目は金沢から始まった。

 以前兼六園までは訪れたことがあったものの、金沢城が抜けていたので今回は穴埋め的に早朝から訪れ9時の開館を待った。

 

 城郭の一部が復元されていたが、展示物等は意外に少ない。

 新幹線効果で観光客が増えているし、外国からの観光客それもアジアからの観光客が多いようだ。

 今日の主たる目的は、戦国の歴史を彩った城と古戦場なのだが、途中の琵琶湖に浮かぶ「竹生島」は謡曲を唸ることを趣味としているものとしては外せないので、旅の相棒の配偶者に了解してもらって岸から遠望することになった。

 

 「観世流初心謡本」中刊のトップに出てくる曲である「竹生島」は女人禁制などと知らぬ人は言うが、祀られているのは弁財天という女性の神様なので、むしろ女性こそお参りすべきであるという曲で目出度くもあり面白くもある。

 さてこのあと、湖の畔沿いの道を南下して配偶者がもっとも行きたいと熱望した「安土城」へ向かう。

 

 お城前の駐車場からは、いきなり石段が延々と続く。

 手作りの杖をかりてゆっくり登ることにする。石段の両側には信長配下の武将達の屋敷跡がつづく。

 最上部の本丸跡あたりは木々が林立し琵琶湖側の一部を除き視界は遮られている。

 国の特別史跡に指定されていて勝手な手は加えられないし、まだまだ発掘などによって貴重な資料が出てきそうな雰囲気が漂っている。

 

 本丸天守閣にあったとされる「天主」の部分は別な施設の屋内に復元模型として展示されている。

 相当に疲れ果てたが、なんのこれしきと「関ヶ原」に向かう。

 信長が本能寺で死ななかったら「関ヶ原の合戦」があったかどうかも疑わしいが・・・。それは無しにしよう。

 

 決戦場の跡だが、天下分け目の戦で東西15万以上の大軍が集中した場所にはそれなりの感慨が湧く。

 

 西軍のほぼ中央に位置する「石田三成陣地」から見下ろした関ヶ原の地形。

 

 やや敵方を見上げる形になり、位置的にはかなり危険であった筈の「家康最終の床几場」跡があった。

 前進陣地から更に前方に進出し、指揮官として兵を鼓舞し次の天下の覇者たらんとする決意の程が窺える。

 盤石の逆八陣地で迎え撃つ三成の戦術通りの陣地配備も、家康独自の情報・諜報戦を交えた総合戦闘シナリオの前にはあっけなく半日ほどで瓦解した。

 そして、明日以降訪れる予定の大垣城や平成の大修理が終わった姫路城などは、偉容をもって抑止力としたむしろ平和の城になっていくのである。

 「虚も実もいろいろ有って関ヶ原」

 「関ヶ原今日は桜の春の陣」

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佐渡の自然と古い町並み

2015-04-29 09:04:50 | 旅行記
 佐渡の2日目は古い町並みを求めて、南端にほぼ近い宿根木へ向かった。

 

 小さな入り江に最盛期には沢山の人が住み、家屋が密集して小さな路地が入り組んでいたらしい。

 現在は地域の人々が町並みを保存しようと清掃活動などで協力し合っている。

 路地には郵便局があったり、塩屋の看板がかかっていたりしているし、路地の奥には野仏も見守っている。

 

 佐渡は離島というイメージではなく、金・銀の産出を始め漁業・日本海交易の基地の役目も果たしていた、そのため千石船などが建造され、船大工などが大勢働いていた。

 

 また佐渡はトキの繁殖にちからを注ぎ、次々と雛の誕生を迎えている。

 

 訪れた時も、雛が誕生したばかりで大勢の人が「トキの森公園」の観察窓から覗き込んでいた。

 うまくタイミングが合わないと見ることの出来ない小さな雛が、親から餌を貰うため、巣の中で立ち上がったところをカメラに収めることが出来た。

 

 ソメイヨシノとは違うが、佐渡を始め能登半島や北陸道沿線の山々ではまだ満開の桜が見られた。

 

 残雪の山並みを代かきの終わった田んぼの水に映して、里は田植えの準備に余念が無い。

 南北に二本、東西方向に連なる山塊の間に広がる平地は、水も豊富でここが島であることを忘れそうになる。

 金山近くの無宿人の墓が、佐渡の厳しい歴史も教えてくれる反面美しく豊かな自然と共存しながら生きてきた先人の暮らしぶりが偲ばれた佐渡の旅だった。

 「人生の旅の途中の仮の宿」

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佐渡は居よいか

2015-04-28 18:42:50 | 旅行記
 高岡を発って佐渡へ向かって行く途中で高速を降り、翡翠海岸に立ち寄った。

 

 やや小雨で天候は良くなかったが、海は静かだった。

 ヒスイを探したが、元々ヒスイの原石を知らないので取り敢えず緑色の石を探してみた。

 荒波に揉まれて、海岸の石はほぼ例外なく丸く角が取れていた。

 おそらく目視では表面が別な色をしている可能性があるなと思った。

 取り敢えず、綺麗な色模様の石を2個拾って、親不知ICから再び高速に戻る。

 新潟の埠頭からフェリーに乗って2時間半ほどで佐渡島(両津港)に着いた。

 早速佐渡金山に向かう。

 

 

 突然、人形が作業を始めたりして驚かされたが、江戸時代コースを選んだので、ほぼ人形も手掘りの肉体労働で疲れていた。過酷な労働の様子が窺える。

 よくよく考えると「ヒスイ海岸」だの「金山」だのと金目のもの目当ての旅になりそうなので、ちょっと心を入れ替えて能舞台を見に行く。

 

 佐渡は能では外すことの出来ない「世阿弥」が流されたところ。

 それに江戸時代は金山奉行の大久保長安が能が好きだったとかで、とにかく能舞台が多いこと多いこと・・・。

 かやぶき屋根の能舞台を見ると、いかに佐渡の風土に能が馴染んでいたかがよく判る。

 文化人が流されて来るので、佐渡の文化レベル自体も高くなっていく道理である。


 「砧など謡ってみたい能舞台」

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ナンマイダ千枚田

2015-04-27 08:20:04 | 旅行記
 旅の第二日目は舞鶴道路から。

 ナビが最新に更新されていなくて、開通している箇所を大きく迂回させられた。

 やっと着いた三方五湖はもの凄い強風で車のドアを開けて外に出るのにも苦労した。

 一旦車の方向を変えて風上に向かって停め抵抗するドアを押し開けた。

 

 なぜか湖の水も薄茶色に見えてちょっと残念。

 その後福井県の永平寺へ。

 ここは前回金沢~五箇山~飛騨高山のコースのとき、時間の関係でやり過ごしていた箇所で、今回は外せない。

 

 曹洞宗の本山で若い修行僧が大勢忙しそうだった。

 若いので元気があって、説明の声も実によく通り分かり易い。

 次は能登半島の海辺と里山を縫うようにして北上する自動車専用道路を快適に走行。

 能登空港ICで降りて輪島~千枚田に向かう。

 

 天候は小雨交じりで靄がかかり視界はやや不良だが、千枚田は田植えの前の代かきの準備で忙しそうだった。

 こうした千枚田の地域にはよくある話で、仕事の帰りに田んぼの数を数えたら、1~2枚足りないのであれっと思って蓑を手に取ったら、その蓑の下に隠れていた等という笑い話がこの能登半島の千枚田でもちゃんと語られていた。

 小雨の中で農家の人達が畔の草を払ったり、通路の整備をしたりしていて単なる観光地ではないことがよく分かる。

 さて、今日のお宿は富山県高岡市である。

 「雨などは計画に無い旅の空」

 「ナンマイダ数えてみれば千枚田」

 こりゃかなりお粗末。

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天空の城

2015-04-26 09:23:13 | 旅行記
 旅の第一日目は車での大移動(約700Km)、まあノンビリサービスエリアなどで休憩しながら・・・。

 第一日目の目的地は、天空の城「竹田城」と「養父温泉」。

 天候等を考慮し、登れない場合・見えない場合など3パターンの行程を考えていたが、雨も降らずに稀有に終わった。

 

 中腹の「山城の郷」で駐車し、あとは定期運行の「天空バス」で途中の駐車場まで移動する。

 

 下車後片道20分くらいのゆっくりペースで城の入口まで登る。

 

 

 石垣だけの古城だが作り物らしくない自然な佇まいがかえって歴史を感じさせる。

 天空の城らしく回りは急峻な自然の要害である。

 もし天空の城という看板通りの情景を求めるのなら、下界が霧に包まれる気象条件と、撮影場所を隣の山にある展望所に移動して条件のそろうのを待つしかない。

 とにかく明日からの戦力温存のため温泉に浸かってゆっくりすることにする。

 「養父温泉」はいい湯だった。

 「おそらくは一期一会の旅の宿」

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