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初代内閣総理大臣伊藤博文は韓国に親身に尽くすも 韓国人に殺害される

2017-11-27 04:37:36 | Weblog

★内閣総理大臣退陣後は韓国に渡り統監になった
 伊藤博文(1841~1909)と言えば、誰もが知る日本の初代内閣総理大臣であり、
近代国家の礎を築いた近代日本建国の父である。
彼は様々な運動に参加し、また多くの役職に就いた人物も珍しいだろう。
内閣総理大臣の職だけで、初代、第五代、第七代、第十代と四度も務めている。
では、博文は内閣総理大臣を退陣したその後、どんな人生を歩んだのか。
内閣制度の確立、憲法の起草、日清戦争の勝利、条約改正など様々な業績を残した博文は、日本から韓国へと渡り韓国統監府の初代統監に就任していた。

★韓国の独立自治を願ったが 監督指導は失敗続きだった
 1901年に第四次伊藤内閣が解散。
日露戦争終結後の1905年、大日本帝国と大韓帝国の間で第二次日韓協約が締結され、韓国は事実上日本の植民地となった。
そして、古くから続く封建制から脱却できていない韓国を統監する為、伊藤に白羽の矢が立った。
第二次日韓協約や伊藤の統監就任に対して韓国では排日運動の機運が高まっていた。
韓国皇帝の高宗(コジョン)は、オランダのハーグで開かれた万国和平会議に密使を派遣し、協約の無効と韓国の独立を求めて会議への参加を要求した。とは云え、その行為は第二次日韓協条約違反であり、協約は国際的に認められていた為に他国から全く相手にされなかった。
伊藤は頑なに日本を軽視する高宗に「日本の指導に基づき文明開化すれば、明治天皇の様に支持の厚い帝王になれる」と、あくまでも韓国の国力を確固たるものとする為の指導であると説いたのだが、高宗は「明治天皇は質素な生活しかしてないし、権力も持っていない」、「ロシアのツァーなら贅沢な生活もしているし独裁者だ」としてロシアに接近しようとしていた。伊藤の意図は伝わらなかったのだ。
それでも伊藤は、韓国を日本へ併合させるつもりはなかった。
事実、「韓国を併合する必要はなく、自治を必要とする。
ただし日本の監督指導がなければ難しい」と語り、日本要人による韓国併合の提案にも反対している。
しかし、韓国人の反発は想像以上だった。韓国軍を解散させた折には、失業した兵士たちが蜂起するなど各地で反乱が起こった。
伊藤の遣り方が早急で強引だったことも問題としてあった。
韓国税制の改革に於いては金融恐慌を起こすなど失敗も目立っていたのである。

★伊藤は暗殺されることを事前に予感していた?
 1908年、第二次桂太郎内閣が発足すると、韓国併合への動きが加速した。桂は小村寿太郎外相を引き連れ、説得の為に伊藤のもとを訪ねた。小村は、伊藤が韓国併合に強く反発するだろうと考えていたが、結果は意外なものだった。
「そうするより他に仕方ない」と伊藤はアッサリ韓国併合を容認し、韓国統監の職を辞したのだった。
伊藤の行動については様々な憶測が飛び交った。韓国の自立を目指していたにも関わらず韓国では理解されなかったことが原因である説や、監督指導を諦めた説、年齢的に統監を続けるのが難しくなった説、日本要人からの圧力に耐え兼ねた説などあるが、どれも想像の域を出ない。
韓国統監を辞めた伊藤は、満州遊歴の為に日本を発とうとしていた。その直前、イギリスの新聞記者に対して次の様に語った。
「いつに限らず私は危険に晒されている。昔は命が惜しかったが、今は余命幾ばくもないので、国の為ならいつでも喜んで死ぬ」
その言葉通り、伊藤は満州のハルピン駅に於いて韓国人の安重根に射殺された。
暗殺の動機は、伊藤が導入しようとしていた庶民教育の方針が、韓国の官吏を担う支配階級・両班の反発を買っていたことによる。
安重根は両班の家系の出である。
最後まで伊藤の思いは韓国側には理解されないまま、その生涯の幕を閉じたのだった。
いや、決して誰にも理解されなかったわけではなかった。
協約違反で皇帝の座から退いていた高宗は、「伊藤は我が国に忠実と正義の精神で尽くしてくれた。自分の骨を長白山に埋める覚悟で、韓国の文明発達に尽くすと言っていた。韓国の慈父だった」と述べ、「暴徒が韓国人であることは、恥ずかしさの極限である」とまで言わしめた。

          




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