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クレオパトラ 美貌を武器に国を守ろうとした古代エジプトの美女 (前69~前30)

2017-09-28 05:32:51 | Weblog

古代エジプトのプトレマイオス朝で最後の女王となったクレオパトラは、ローマの侵略から国を守る為にその美貌を武器にした。
最終的にはローマに屈するものの、ローマ軍を率いたカエサルとアントニウスと云う二人の将軍を虜にし、
王朝に最後の輝きをもたらしたその美しさは、世界中に広く知られた伝説となっている。

「カエサルとの劇的な出会い」
三頭政治の行われていた共和制ローマで、紀元前1世紀の半ば、
執政官のトップの座に就いたのがカエサルだった。
彼は、自分が追い落としたポンペイウスがエジプトに庇護を求めたのに乗じて、エジプトの征服を試みる。
その頃のエジプトは、幼いプトレマイオス13世の統治下。
父プトレマイオス12世の遺言では、姉クレオパトラと共同統治するはずだったが、彼女の為政者としての才や野望を恐れた高官たちは、彼女を廃位してシリアへ追放していた。
カエサルは、そんな内紛を口実にエジプトへ遠征したのである。
そしてクレオパトラは、カエサルがアレクサンドリアに滞在していることを知ると、彼を自分の味方につけてエジプト女王へ復帰しようと、彼のいる宮殿へ忍び込む画策をする。
クレオパトラとカエサルが手を結ぶことを、高官たちは何よりも恐れていたから、宮殿の警護は当然固い。
そこで彼女は一計を案じる。
クルクルと巻いた絨毯の中に潜み、その絨毯をカエサルへの贈り物として、彼の居間へ届けさせたのである。
絨毯を広げた中から、うら若き美女が現れた時のカエサルの驚きは容易に想像できる。しかも、それが「エジプト女王クレオパトラ」と名乗ったのだから、美貌に重ねた機知に彼が一目惚れしたとしても当然だろう。
ただ、彼女の家系はギリシア人の血を引いており、当時のローマ人の基準からすれば鼻が高過ぎる。また、肌の色も浅黒く、美女ではなかったのではないかとも謂われている。
しかし、それでもカエサルの心を惹くことが出来たのは、宮殿に侵入したアイデアに見られる様な、強い意志や知性の輝きと云った、内面から滲み出る様な美しさがあったからだ。
数カ国語を操り、科学や物理、音楽などにも通じ、巧みな話術で社交性を発揮した彼女に、ローマ女性には無い魅力を感じたのだろう。
その後、カエサルの助けで王座に返り咲いたクレオパトラは、彼との間に男児を儲ける。そして、ローマへ戻って独裁執政官となった彼に呼び寄せられ、エジプト女王でありながら、まるでローマ皇帝の妻の様に扱われる絶頂期を迎えた。


「アントニウスも骨抜きにする」
あまりの独裁ぶりに、遂にカエサルが暗殺されると、彼の後継者となったのがアントニウスだった。オリエントの支配権を手にした彼は、カエサルの死でエジプトへ逃げ帰っていたクレオパトラに出頭を命じる。
二十八歳になっていたクレオパトラは、この時にも、アントニウスの待つキュドノス川下流の町に、豪華な装飾を施した船団を組んで着飾って現われると云う、意表をついた訪問をしている。
元々彼女の虜になっていたアントニウスは簡単に籠絡され、アレクサンドリアまで彼女を追うと、ローマに妻がいながらもクレオパトラと結婚をする。更に、ローマの将軍として出征しながら占領地シリアやキプロス島などを彼女に贈るなど、まるでエジプト王でもあるかの様に振舞った。これをローマ側が快く思うはずがない。
アントニウスを三頭政治から外し、エジプトには宣戦布告を出した。
この戦いで、彼はエジプト軍を率いて出陣するが敗れ、自ら命を絶った。
そして、ローマ軍はクレオパトラを捕虜として連行し、祖国の偉大な二人の将軍を弄(もてあそ)んだことに対する罪を問おうとした。
その矢先、それを察した彼女は三十九歳と云う生涯を自ら絶ち、プトレマイオス朝は終焉を迎えた。

ローマ史上では、美しき悪女の様に謂われることも多いクレオパトラだが、国を守る為に、天賦の美貌や才知を十分に発揮した女性だったと云えよう。

             

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