Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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おうの 高杉晋作を陰で支えつづけた貞女 (1843~1909)

2017-09-26 04:26:50 | Weblog

幕末の志士高杉晋作とおうのが出会ったのは、1863(文久3)年、晋作が奇兵隊を組織した年。
晋作二十五歳、下関の芸妓『此の糸』、即ちおうのは二十歳だったという。彼女は、大坂または萩の商家出身とされるが、
実家が没落した為遊女になったという。晋作は彼女を身請けし、下関の南部町に妾宅を構えた。

晋作は多忙で、突然出て行ったきり何カ月も帰って来ないこともあったが、
かと思えば四国に逃れる際に、おうのを同行したこともある。
一度は妻雅子が萩から乗り込んで来て、妻と妾の間で困り果てた晋作が長崎に逃げ出したと云うこともあった様だが、
どんな時も、おうのは晋作を慕い、一人で健気に留守を守った。
しかし、蜜月は長くは続かなかった。
晋作は持病の肺結核が悪化して寝込んでしまう。
おうのは彼を献身的に看病したが、妻雅子が息子を連れて駆けつけ、おうのは妾宅に戻る。
そして晋作は、1867(慶応3)年、維新を目前にして没した。

その後もおうのは浮名を流すこともなく、剃髪して梅処尼(ばいしょじ)となり、晋作の墓所東行庵で菩提を弔う余生を過ごした。
晋作が死して尚、彼に仕え続けたのである。

              

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