春と秋、衣替えの季節になるとウキウキします。
特に五月、新緑の美しいこの時期は、心も身体も生き返るような新鮮な気持ちで朝を迎えます。
そしていつも、この一節を思い出します。
「~~今年の正月、よそから着物を一反もらった。着物の布地は麻であった」
太宰治の「死のうと思っていた」から始まる、あまりに有名な一節です。
「~~これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」「葉」より
この小説を読んだときには、すごい衝撃。
何が驚いたって、「着物をもらったので、それを着るまでは生きていよう」という感性の跳躍~~。
太宰、おしゃれだもんね。
若い頃はわかったような気がしましたが、今ならもっとわかる。
これとこれとこれ、着るまでは「生きていようと思った」。
これを書いたとき太宰は30代、
今の私は60代、「死」に向き合う気持ちは違うけど、着ていないきもの着るまでは死なないぞ
はい、可愛い金魚の夏帯を購入。ピンクの夏博多。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。
毎年咲く花はどれも似ているけど、人は年々変わっていく。
でも、帯や着物はね、年々歳々、新しいものも、あれ、もう買わないなんて言ってなかった??
紗紬やら、絽、麻の帯を出すと、その都度、ああ、これもあった、こんなのもあったなと、新しいものを購入したように嬉しくなります。
片付けの本には「一年中の衣服を出しておく」という項目がありますが、それでは日本の季節を感じる感性が衰えるような気がします。
衣替えは季節を感じる行事。
季節の入った箱は宝箱。
あっ、これもあった。あのとき、これ着たなあ、もう古くなった、小さくなった~~とあれこれ思うのは楽しい。
塩沢は去年着たけど、この藍の絽はまだシメていないな、シメシメ。
というわけで、早くも夏モード。
このままスムーズに暑さに向かうのはチト困る、もう一戻りあると思うけど、それもまた余興。
まだすべての夏物出してないし、襦袢に半襟などの、お仕度もしなくちゃね。
衣替えだって、部屋の新陳代謝。
太宰のもらった麻は、「鼠色の細かい縞目が織りこめられてあった」
太宰の麻の縞は、たとえばこんな感じ?
本を読んでもきものの色柄、目に浮かぶようになりました。
そんな想像ができるようになったのもまた着物着るようになってから。きものの楽しみ
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