南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

サザンプトンの砂はスーパーモデルの香り

2009-02-15 02:51:37 | Weblog
ニューヨークのロングアイラインドの北東の外れにサザンプ
トンというリゾート地があります。Southhamptonというと、
ご本家はイギリスの南の港町。あのタイタニックが出航した
港がそれです。このロングアイランドのサザンプトンも上品な
海辺の町。マンハッタンからそれほど遠くない距離なのですが、
砂が意外と白っぽいので、いきなりリゾート地に来た感じでした。

1995年、私がまだシンガポールに赴任になる1年ちょっと前、
写真撮影の立ち会いで、この地を訪れました。この時のカメラ
マンはジル・ベンシモン (Gilles Bensimon)。フランス人で、
雑誌Elleのクリエイティブ・ディレクターを長年やっていて、
ファッションカメラマンとしては世界的に有名な人でした。

こちらはそのジル・ベンシモンの写真です。



彼はスーパーモデルのエル・マクファーソン (Elle Mcpherson)
と結婚していたことで有名だったのですが、1989年に離婚して
いました。ある日、私が、別のカメラマンのマネージャーと
マンハッタンのレストランで食事をしていたら、「ほら、
あっちのテーブルにいるの、Elle Mcphersonだぜ」とアメリカ
人のマネージャーが教えてくれました。彼女のことをそれほど
知らなかった私は、そう言われてもあまりピンとこなかったの
ですが、Gilles Bensimonの前の妻だと言われたときにはびっく
りしました。同じカメラマンと言っても、こんなに華やかな
生活をしているのもいるのかと。

その日のサザンプトンは、天気もよく、撮影日和でした。
日本人は私一人だけ、あとはヘアメイクやら、スタイリスト
やらがやたらいっぱい来ています。三人の女性モデルを使って、
屋外でキャットウォーク的な写真を撮影するのがメインでした。
オートフォーカスでの連写を表現するという技術的なテーマは
ありましたが、撮影は典型的なファッション・フォトグラフィー
の雰囲気でした。

しかし、待てども、待てども彼は現れません。のんびりした
オフシーズンのリゾートの青い空の下で私たちは、彼を待ち
ました。どれくらい待ったでしょうか、やがて彼は、オープン
カーに一人のモデルを乗せてやってきました。まるで映画の
ワンシーンのようにその時の映像が蘇ります。すぐ撮影にとり
かかるのかと思ったら、ヘアスタイリストに頼んで、その女性
モデルの髪をばさばさ切らせています。後でわかったのですが、
そのモデルの名前は、ケリー・キロレン。この撮影が終わって
まもなく、ジル・ベンシモンと結婚することになる女性です。

撮影は無事に終了しました。フランス語なまりの英語で指示を
するのですが、スタッフの何人かはフランス人です。カメラ
マン本人は、ちょっと芸術家っぽい雰囲気ですが、他の
スタッフは、彼の意向を正確につかみ取ろうと必死に彼の言葉
に耳を傾けます。一日の撮影でしたが、ファッション・フォト
グラフィーの世界とはこういうものかと感じさせられる撮影
でした。

そういえば、このケリー・キロレンと私はツーショットの写真
を撮影しました。その撮影に立ち会ったメーカー側のアメリカ
人の技術者が余興で撮影してくれたんですが、あの写真、
どこにいったかな?

それから数ヶ月して、たまたま日本の本屋で『Top Model』
(だったと記憶しているんですが)という雑誌を買いました。
その中に、偶然、ジル・ベンシモンと、ケリー・キロレンの
結婚式の記事が出ていました。その結婚式は華やかで、
クリスティー・ターリントンとか、その他の有名人も出ていた
ように記憶しています。

英語のウィキペディアを見ると、その後、彼女との間に二人の
娘が誕生したということなのですが、彼は1944年生まれなので、
子供ができたのは彼が52才かもっと上。今の私とほとんど同じ
くらいの時だったのですね。しかし、2006年1月に彼は、
ケリーと別れることになったそうです。結婚の期間は10年ほど、
原因はまた別のモデルとの女性関係だと言われています。

ちょっと今、検索をしてみたらびっくり。このケリー・キロ
レン今、アメリカではセレブになっているんですね。
ウィキペディアにも出ているし、テレビ番組にも出ていれば、
雑誌のファッション記事でも有名。自分のサイトもありました。

こちらです。
http://kellykillorenbensimon.com/

まあカメラマンもすごい人でしたが、このときのモデルも
すごい人だったんですね。あらためてびっくりです。