FEEL ambivalence

毎日、いろんなことを思います。
両極端な感じで。

両面価値。
同一対象に対する愛憎共存。

悪意の醸成。

2007-04-11 00:25:21 | ろぐ
以前(というか結構前だと思われるが)、コメント欄に「戦争論」/小林よしのり 著を読んでみては?という意見をいただいた。

先月末につくばに行った折、1と2を入手。じっくり読み進めている最中である。
あれから半月もたつのだけれど、この本は簡単に読み進むことができない。一つ一つのことを知るたび、自分の無知を恥じ、内容を疑い、自分を疑い、考えをまとめて次の小節に進んでいくという作業が繰り返されるからだ。

あまりにも衝撃的なことが多すぎる。

自分の無知加減にあきれる。

以前、戦争とは?ということについてさらりと教えてもらったことはあるのだが、第二次大戦のときの日本は悪である、ということについてはさほど疑問を抱いていなかった。それがひっくり返った。

誤解のないように記しておくが、ぼくはまだ揺れている。何が正しいのか、何を信じるのか、正直わからない。だが、片方だけの見方をしていた自分を恥じるようになった。

いまさらこんなことに気がついても仕方ないような気もする。しかし、気づかないで一生を終えなくて良かったと思う。できることなら高校のときに、そういうことに気付きたかった。


唐突だが、ぼくは礼儀が好きだ。ぴしりとした身のこなしに憧れる。
日本古来からの「道」というものに惹かれるのだ。
それは「武士道」や「茶道」に代表される、ある種格式ばった窮屈なものかもしれない。けれど、その「道」は続けた者だけが得られる美しさがあるような気がするのだ。
戦争映画には、必ず「敬礼」が描かれる。ぼくはこの「敬礼」に美しさにも似た、しかし、もっとひりひりするような感情を抱く。「道」に通じる厳しさがあり、それだけですべてを伝えようとする思いの強さが存在しているように感じる。
どこか、戦争に憧れているのだ。


しかし、戦争というのは非人道的な行為だと考える。
何かのためであれ、人が人の命を絶っていい理由はない。
それなのに、なぜ、憧れてしまうのだろうか。
なぜ、人殺しの機械のはずの戦車や戦艦を美しいと感じるのだろうか。

知恵の実を食べてしまったからか?
宗教を知らないぼくにはわからない。

理性と本能のせめぎあいなのだろうか。
殺戮をどこかで期待している自分がいるのだろうか。

考え始めるとキリがない。
友人と夜を明かしてでも話してみたいものだが、
そんな相手もいない。

瞑目して、想いをまとめる作業。

なぜ、悲しい連鎖は続いていくのだろうか。