本日読み終えたのは「日本画の歴史 現代篇 アヴァンギャルド、戦争画から21世紀の新潮流まで」(草薙奈津子、中公新書)。「日本画の歴史 近代編」と同時発売された。
前巻で作品を見た画家は、明治初期の橋本雅邦、狩野芳崖、横山大観、下村寒山、菱田春草や平福百穂などで、他は名はよく聞くが、そして作品を見る機会はあるものの、あまり私には響いてこない画家や作品ばかりで、読み進めるのもちょっとつらかった。
この巻では、私の感覚に響いてくる画家や作品が多く、読む速度も自然に早くなった。好みの画家、作品が取り上げてあると、指摘や評価が私のものと違っても、楽しいものである。
いつものとおり「覚書風」に。
「マチスなどを学んでいるという意味で、小倉遊亀の作品は理知的というべきかもしれません。‥伝統的に日本美術院の作家に顕著なのが、絵画に精神性をもたせるということです。‥遊亀作品には高く、深く崇高な精神と同時に、優しく暖かみのある人間性が見られる‥。」
どうも日本の美術評論では「崇高な精神性」とか「深い内面性」というと何かすべて言い切ったような気分になるのだろうか。私にはとても疑問である。この著作でいくつも教わったことはあるが、どこかでこの言葉で逃げてしまうところが散見されるのが残念であった。
「1943年5月、大観を会長に日本美術報告会が創立され、大観はますます絶大な力を発揮するようよなりました。戦争に協力しないと絵画制作に必要な絵具や紙・絹などの配給を受けられなくなるという‥。戦争とは、気がついた時には個人ではどうすることも出来なくなっている恐ろしいものなのです。そしてそれを後で後悔しても、もう遅すぎるのです。近代日本画の歴史はそんなことを教えてくれます。」
日本画家の戦争画が構図・構成などでどのような地平を開いたのか、そこら辺の技法上の評価も同時に言及してほしかったと思うのは、この本の目的を超えてしまうのだろうか。
「日本画絵具を使っていなければ日本画とはいえない、という考えには納得できません。‥日本画と洋画の最大の違いは、二次元的表現を好むか、三次元的表現を好むかの違いではないかと思っています。ヨーロッパ絵画が奥へ奥へと深まっていくのに対し、日本画は横へ横へと広がっていくのです。つまり空間の違いなのです。」
この意見にはとても好感が持てた。今度から是非ともこの視点で日本画を見ることにしたいと思う。道具(絵具、支持体、媒体である膠等々)に着目している限り、日本画という概念自体が消失してしまう。油彩画や西洋画との境界は無くなってしまう。しかしこういう指摘は傾聴に値するのではないか。
「自分たちの日本画を生み出そうと悪戦苦闘しますが、西洋絵画の束縛から完全に逃れることはできませんでした。何しろ日本の西洋化とは、明治時代に始まる近代という長い歴史に裏打ちされていたのです。しかしその束縛を受けながらも、次第にそこから解放され、かつもっと土俗的な方向へ向かった画家がいました。‥さらにその束縛から逃れられたばかりでなく、全く気にしない世代が誕生してきたのです。近代化という西洋化からの解放‥。近代以降連綿と続いてきた「日本画」から「日本の絵画」が誕生した、といってよいでしょう」
なるほどと思う一方で、最後の結論まで言い切ってしまっていいの? という気持ちもある。私などの素人がこれから日本画をこの方面から楽しむのは悪くない。
入門書のようでいて示唆に富む著作であったと思う。特に現代篇で取り上げた画家で興味をあらためて惹かれた堂本印象などの画家が幾人かいる。また高山辰雄・横山操・徳岡神泉・内田あぐり等々評価を高めたい画家もいる。荘司福のような好きな画家の評価がさらに高まった画家もいた。