
私はモーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)という画家がとても気に入っている。この絵は画家が61歳のころの作品である。60歳を超えても安易な構図や画題に傾斜することなく、嵐に立ち向かうような気迫を感じる。
ウィキペディアによると「1876年、パリで音楽教師の子として生まれ、16歳の時に家を飛び出してシャトゥーに住む。18歳で結婚し、自転車選手や、オーケストラでバイオリン弾いていた。徹底した自由主義者で、自分の才能以外の何ものも信じず、何ごとにも束縛されたり、服従することを嫌った。絵画についてもあらゆる伝統や教育を拒否し、少年時代に多少絵の手ほどきを受けた程度で、ほとんど独学であった。1900年、シャトゥー出身の画家、アンドレ・ドランと意気投合し、共同でアトリエを構える。1901年には、パリのベルネーム・ジュヌ画廊で開かれていたゴッホ展を見に行き、そこでドランを通じてアンリ・マティスに紹介されている」
私が惹かれるのはどの風景画からも強い風を感じるからだ。それもかなり強烈な風である。そして嵐の前触れのような風である。人のアプローチを退けるような強さを感じる。人家が遠くに見える町の郊外の風景、それも樹木にかなりこだわりのある風景が多い。独特の樹木の携帯は風に煽られながらも、また風に捩れ、幹が大きく傾いでいるものの屹立している強さがある。花瓶に挿した屋内の花を描いていても私には風が感じられる。
私はこの強い風が私の身を吹き抜けていくのを感じる。風は私の世俗の塵にまみれた身を内臓から吹き曝しにして、曝け出すように吹き抜けていく。そんな感じの風である。
ヴラマンクの絵では海はあまり題材として取り上げられない。それでも風が吹き荒れるこのような海の絵もある。
この海を描いた作品は風が海面を強く苛立たせている。雲の切れ間に太陽が顔をだすかもしれない一瞬を、そして不安な波頭を際立たせながら描いている。右につらなる岬のような陸地は人の気配、人家の気配を消し去り、不気味である。さらにヴラマンクらしい樹木は描かれていない。人家も見えない。海の水は黒っぽい緑に塗られているが、モノクロームのような墨で描かれた絵にも見える。左上の雲がほんの少しだけ赤い。中央上部の雲の切れ目に何らかの希望をみたいと思うこともある。しかしそんな安易な希望も受け付けない峻厳さの方が勝っていると思う。
このように救いが見えず、安定や静穏への気分を逆なでするような絵が無性に見たくなることもある。その時にヴラマンクの画集はどうしても必要と感じる。手離せない。
初めて観ました。
モーリスという画家の生き方
身近に、ある部分が良く似ている者がいます。
思わず笑ってしまいました。
身近な方、是非お話をしてみたいな!