Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳を見る・読む(10)

2010年06月28日 23時05分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
根来杓子 1964 全体


 ページの切れ目は容赦していただきたい。さて、土門拳の文章では「断面五角形をなす柄のしのぎに、細い黒線が一本走って全体の形を引き締めいているが、それは角がすれて下塗の黒漆があらわれたのではなく、わざわざ引いたのである。それも筆で書いたのではない。「なぎなた」と称する槍の薄い板の刃先に黒漆をつけて、ぽんとしのぎに当てるのである。「なぎなた」による局面への線引きは、現代の塗師屋(ぬしや)では至難の技」と書いてある。
 だから土門拳自身はこの写真のようにそれぞれの杓子全体が写っているものを完成品として出版している。私も確かにこの黒漆の線は美しいと思う。
 しかし造形写真として見る観点から、私なりに不遜なことをあえてさせてもらって、次のように見てもらいたい。不遜であることは承知の上で、このような鑑賞の仕方もあることを示してみたかった。

根来杓子 1964 部分


 土門拳の写したかった黒漆の美しい黒い曲線は写っていないが、私にはこの杓子の先の3つ赤い楕円の重なりと黒い染みと上二つの反射光、そして蓮華の花紋にも似た杓子の金色と上縁の反射光、この四つの杓子の連続模様が、構図として面白いし、好きだ。赤と金の背景の黒とのバランスもいい。
こんなわがままなで、不遜な鑑賞を許していただけないだろうか。

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