Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中桐雅夫「海」

2014年03月18日 20時04分22秒 | 読書
 中桐雅夫という詩人に次の詩がある。「荒地詩集1956」の冒頭におさめられている詩である。1977年に新装版が国文社から出版されて購入した。



 湯河原に久しぶりに行った日曜日にうろ覚えながら、ここら辺の海岸を読み込んだ詩があったのではないか、と考えていた。「荒地詩集」のある年の冒頭ということだけは覚えていた。それで1951年版から順繰りにめくっていってやっと見つけた。
 そしてうろ覚えだった詩の内容を思い出した。
 海の鮮烈な色と、死んだ友の無惨な死が印象的である。戦後の詩はこのような出発をした。いや戦後の日本全体がこのような出発をしたのである、と私は教わってきたし、自分なりにこれに近いイメージを抱いてきた。1956年と云えば私は5歳。周囲の街の景色も、身の回りの大人の話題も、この詩の第二連のようなイメージを含んでいた。

 長い詩であるが、わかりやすいのでそのままここに掲載したい。「二月二十九日の詩」という5編の詩の冒頭に置かれている。


 海

根府川と真鶴の間の海の
あのすばらしい色を見ると、いつも僕は
生きていたのをうれしく思う、
僕の眼があの通りの色なら
すべての本は投げ捨ててもいい。
沖の方はパイプの煙のような紫で、
だんだん薄い緑が加わりながら岸へ寄せてくる、
岸辺にはわずかに白い泡波がたち、
秋の空の秋の色とすっかり溶けあって、
全体がひとつの海の色をつくっている、
猫のからたのようなやわらかさの下に、
稲妻の鋭さを隠している海、
ああ、この色を僕の眼にできるなら、
生きてゆく楽しさを人にわかつこともできるだろう。

希望が過ぎ去るように早く、その色は消える。
生きていたころのMの眼が
ちようどこんな色だったが、それもいまでは
泥土にうがたれた穴でしかない。
死は何と早く人と人とを引き離すものだろう、
前に君のことを思い出したのはいつだったかも想い出せないが、
ミイトキイナというビルマの地名を覚えているのは、
十何年か前、そこで君が戦死したからだ。
君が死んで、戦闘が終わった時、連合軍はビラを撒いた。
「諸君はよく勇敢に戦った、われわれ連合軍は
諸君に敬意を表せざるを得ない。」
そうだ、東京にいたころも君は勇敢な男だったが、
イラワジ川につかったまま二ヶ月も戦い続け、
ふくれあがった皮膚はちょっと指で押しただけで、
穴があいて、どろどろに腐ったウミが出てくる
そんな戦いにどのような賛辞が許されるだろう。

イラワジ川の水の色がどんなたったか、
僕は知らない、知ろうとも思わぬ。だが、
蜜柑の皮をむきはじめると
蜜柑のうえに涙が落ちた、君の好きだった蜜柑、
いちどきに十以上も食べた蜜柑。
僕の心はこわれかけた目覚し時計のように鳴りだし、
湘南電車はそれよりももっと鋭い音を発して
僕の心をえぐった。
いま過ぎたのがどこの駅か、
僕は知らない、知ろうともせず蜜柑の皮をむいていた。


 「会社の人事」という詩集は1979年に出版となった。実は私はこれを買いそびれ、読みそびれてそのままになっていたことを思い出した。実はそのころには私は現代詩に目をとおすことを止めてしまっていたのだから。
 そこでネットで「中桐雅夫」を検索したら、「渓流斎日乗(渓流斎高田朋之介の公式ブログ)」というのに行き着いた。そこに「会社の人事」からのいくつかの引用があった(2011.10.06の記事)。ふたつだけ引用させてもらうことにした。

・何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、 言い出した奴の息の根をとめてやりたい、 知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、 悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ!(嫌なことば)
・新年は、死んだ人をしのぶためにある、 心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、 おのれだけが生き残っているのはなぜかとうためだ、 でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?(きのうはあすに)

 またウィキペディアに、「彼の死は、自殺ではなく自死だという人もあるが、/死はいくら言い換えても死だ、/言い換えに浮き身をやつすのは、/中味の薄さをごまかすためにすぎぬ。/ことばは時とともに変わる、しかし忘れるな、/変える必要がないものは変えないことが必要だ。」(ことばの言い換え)という言葉が引用されている。

 これから想像するに、この詩人は出発点から「死」のイメージを誠実に追いかけ、生涯こだわった詩人であるらしい。

 今あらためてこの詩人の詩を追いかけて見たくなった。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私もあまりないです (Fs)
2014-03-18 21:36:27
通読したのは確かに数人程度ですね。確かに言葉が自分の感性と重ならないとイメージが結ばないです。

文学づいているのはどうしてでしょうか。移り気なので、いろいろとつまみ食いのように渡り歩く癖が出てしまいました。

しばらくは現代詩や数少ない小説体験もいいかな?
返信する
一人の詩人の作品集を (通りがかり人)
2014-03-18 20:42:35
始めから、終いまでじっくり読みきりましたということが出来たためしがない。途中、走り読みにしたりすると、もういけない。詩とは、小説と違い、読み方がわからないものです。
このところ、文学方面に走ってきましたが、どうかされたのですかな…
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