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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

毬栗(いがぐり)・虚栗(みなしぐり)

2013年08月04日 22時38分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど夕刻にウォーキング&ジョギングに出かけたところ、切通し風になっている地点の道端に青い毬栗が5~6個ほど落ちていた。
 毬の中には実をつけない、殻だけで中に実のない栗を虚栗(みなしぐり)という。
 また、江戸前期の俳諧撰集。2冊。宝井其角編。天和3年(1683)刊。芭蕉および蕉門のほか、貞門・談林に属する俳人の発句・歌仙などを収録。蕉風確立に至る過渡期の撰集。

 毬栗の蓑(みの)にとどまる嵐かな‥‥白雄 
 行く秋や手を広げたる栗のいが‥‥‥芭蕉
 山行の栗の毬より雨あがる‥‥‥‥‥石橋秀野

 青い毬栗が果たして受精して実のついたものがたまたま熟する前に落ちてしまったものなのか、もともと虚栗のように実のついていないものなのか、わからない。落ちているものを靴で踏んでみて、実がついているものなのか否か、見極めてみるのも悪くない。 こんなことを書いてみると、では虚栗とはいったい何なのかという疑問も当然出てくる。
 この青い毬、実際に触ってみるととても痛い。青いから毬の棘が柔らかいかというととんでもないことになる。私は以前低山のハイキングをしていたときに軍手で思い切り強くこの青い毬を鷲づかみにして、とても痛い思いをしたことがある。以来二度と毬を素手で触ることはしない。しかしこの経験、30歳の頃の経験だったと思う。もっと若くにこのような経験をしていなくてはいけなかったと反省した。



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2 コメント

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栗の思い出 (通りがかり人)
2013-08-05 16:29:52
同じ横浜でも、氏は都会育ち、私は片田舎。相当な違いがある。栗は、いがいがをとり、栗を取り出し、それをむいて、渋を剥くと、ようやく実が出てくる。生でずいぶん食べたものだ。山に行けば、栗の木があった。生はそれほどには、美味しくはなかったが、いがいがも靴で踏みつけ、木の枝のとんがらかしたのをナイフで作り、いがにくい込ませて、割ってゆく。ズボンのポケットに目一杯入れると、ズボンが落ちてくる。母や祖母にゆでてもらって、まあ、ほめられたりしていた。今は切ってしまったが、庭に一本だが栗がなっていた。年頃になり、栗をとらない私に母は文句を言っていた。
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団地住民は‥ (Fs)
2013-08-05 22:07:43
おっしゃるような逞しさに欠ける少年時代をみんな過ごしました。私はそれが劣等感に繋がりました。

今でも山に行って、食べられるものと食べられないものの区別がつかないんですが、今の時代それは生きていく上での価値では無いようです。

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