Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「浄土思想」 その5

2023年10月21日 22時47分17秒 | 読書

   

 「浄土思想」(岩田文昭、中公新書)の第5章「親鸞の浄土観と物語論」を一応読み終わった。一応というのは、理解したかどうかは心もとない、という意味合いである。

他の浄土教の思想家に比べ、親鸞は感覚的で実体的な浄土は否定的に取り扱っている。親鸞の教説の大きな特徴は、仏や浄土を感覚的・現実的なイメージではなく、抽象的・原理的に表現すことにある。しかしこの親鸞の思想の根底には、法蔵説話の力とその説話を生み出す根拠への信頼がある。物語の存在が、世界や自己をありのままに崇拝する自然崇拝との違いとなる。そのような神話的表象を生み出す根拠に目を向けるとともに、そこから救いを具体化する「阿弥陀仏むが立ち現れることを親鸞は指摘するのである。

 このような視点にははじめて接すると同時に、まだよく理解できないことも確かだ。特に後半部分は理解が出来ていない。

新たな物語の誕生は、しばしばその時代精神を背景にして、新たな信じゃ総獲得に綱刈っていた‥。
親鸞は、『教行信証』で抽象的な思弁を展開している。たしかに、そこには深い宗教哲学の内容が認められる。しかし、その抽象性を補完する感性的な仕組みがなければ、多くの信者を得ることはない。『親鸞伝絵』は、浄土真宗の流布にかけがえのない役割を果たしてきた。

 多分覚如の描いた親鸞の物語によって「浄土真宗」は成り立ったと言えるのだろう。そこにはおそらく『親鸞』はいない。親鸞の物語があるだけである。

 



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