Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「犬の記憶 終章」 その4

2022年08月21日 20時23分43秒 | 読書

   

 昨日「横須賀」、本日「逗子」を読んだ。横須賀は森山大道が東松照明の影響下で都市風景を撮ろうとした最初の実践の街ということになる。1965年という年である。

「米軍基地前に拡がる繁華な一帯が、ぼくの撮影のテリトリーであった。‥あの基地の街特有のケバケバしい原色の町並み風景と、そこをうろつき屯する人間たちの、どこかいかがわしくうさんくさいありようは、むしろぼくに、細胞がザワザワとざわめくような、ドキドキワクワクとときめくような不思議な感覚をもたらせてくれた。まだ街に進駐軍の兵隊たちがいた昭和二十年代という時代の光景や匂いをしっかり覚えているぼくにとって、目のあたりに見る横須賀の街路には、むしろどこかときめく懐かしさを覚えてしまうのだった。横須賀をスナップするぼくに、東松さんにある政治的な視点や時代への批判性はなくて、もしかりにあったとしても、それは意識下にひそむものが生理的直感のかたちをとって、つと指先に伝わってくる類いのものであったはずだ。ベトナム戦争の戦時下であったから、横須賀というよりもヨコスカは、活気を呈した街の様相のすぐとなりに、それとなく殺気をたたえた気配がいつもただよっていた。ドブ板通りに蝟集する第七艦隊の海兵たちの表情にも、フランクさとワイルドさ、デカダンスとナーバスさが常に表裏一体といった幹事でただよっていて、全体的には極めてデスペレートな印象だった。」(横須賀)

「東松さんの写真への追走からことが始まり、次に狙いを定めた「カメラ毎日」と山岸章二さんとの幸せな邂逅は、その後のぼくの写真を決定的に方向づけてくれた。いわばぼくは自身の鉱脈を、ことまずコツンと掘り当てたことになった。‥まだベトナム戦争の真っ只中で、街中がザラリとひと荒れして、良くも悪くも人間の輪郭がくっきりときわ立ち、哀しくも滑稽だった横須賀の街からだったのだ。」(横須賀)

 引用が長くなったが、この二つの部分に森山大道の都市を見る目、都市の風景に感応する視点がある。私が都市風景や身の回りに感応するのとは大きな違いがある。しかしいつも森山大道の切り撮る都市風景には懐かしさと、そして慣れ親しんでいるという既視感が伴って私の眼に飛び込んでくる。
 こんな風景は「美」ではない、と感じつつ惹かれるのである。ある意味では都市のグロテスクな、場末の、ひょっとしたら一般的な都市景観からは唾棄すべきかもしれない一面を、「それを否定したり、捨ててしまっては生きている都市ではなくなるよ」とばかりに突きつけられ、そしてそれが懐かしく私の目に飛び込んでくる。
 この風景がなくなったら、それは人間の営みのもっとも根っこの部分が消えてしまうのだと納得させられる。都市が都市でなくなる重大な側面を下から見上げるように写し撮っていると感心する。
 今では消えかかっている場末のいかがわしいチラシ、命令口調のアジテーションのポスター、ヤクザに追われるホステスの群れなどなど、否定されるべきとはいいつつ、そこに渦巻く生き抜くために剝き出しになっているたくましいエネルギーが私を飲み込む。
 私がどこかで忘れようとしている何かを感じとることができる。

「中平拓馬の日常の視覚に映ったさまざまな断片が、長焦点レンズで何の作為もけれん味もなく切り撮られてある。‥かつて中平は、ある興味によって写された一枚の写真のそのすぐ横の写されなかった場所に、じつは何かとんでもなく恐ろしいものが転がっているのではないか、というようなことをぼくに語ったことがあった。中平の、現在の日常の司会には、そんな事物ばかりが映り見えているのではないか。中平は、彼を包む日常の中で、相変わらず突(と)ンがった一本の意志そのものとなって、もはやイメージではなく他ならぬ中平拓馬の尖鋭化した言葉そのものを写し歩いているはずだ。‥彼の直接性は現在もなお確固として屹立しつづけているのだ。」(逗子)

 ここでもまた私をたじろがせる言葉がある。「何の作為もない作品」とはどうしても私にはわからないのだが、だが、惹かれるものがある。政治的な理念であれ、構図へのこだわりであれ、モノクロやカラーのグラデーションへのこだわりであれ、芸術作品はそれを提出した者の作為からは逃れられないはずである。それをいとも簡単に無視して作品論が提示される。そしてその後ろにはすぐに「日常の中に‥一本の意志」を認める。
 この不思議な提示のあり方がまた、粗削りに私の脆弱な思考をおおいに揺さぶって慌てさせる。この揺さぶりが面白くて、この書物を読み続けている、といっても過言ではない。



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